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<title>萩石見 地味に益田市</title>
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<description>山陰地方島根県。地味にリッチな益田市です。萩石見益田市の生活・自然・歴史・観光情報等、益田市太郎が益田市情報をお届けします。</description>
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<pubDate>Mon, 01 Dec 2008 00:00:36 +0900</pubDate>
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<title>岸つつじ（岸躑躅）の花が咲きました（益田市高津の民家庭にて）</title>
<description>岸つつじ（岸躑躅）の花が咲きました…といっても高津川や匹見川ではありません。タイトルにもありますように益田市の高津の某民家の庭です（すいません）このブログでは以前、匹見川で咲いている岸つつじ（岸躑躅）の風景を掲載しました。&gt;&gt;能登川で見つけた「赤石」と匹見川の岸ツツジ（2009年05月15日）岸ツツジ（岸躑躅）といえば（やはり）四万十川という感じですが…ここわれら益田市でも高津川上流や匹見川ではあちこちに群落をみることができます。アップの画像でみると5枚ある花弁の真ん中上に紅色の斑点があるんですね！（撮ってて気付いた）この花は鉢植えとなっているのですが、昨年、秋口に高津川が増水した際、大魚渓あたりの岸に漂着していたものを鉢植えしたものでした。通常このツツジは岩肌の割れ目深くに根をはり、（おおげさじゃなく）つまようじぐらいの太さの茎のものでも抜くことはできません。（おそらく、岩はだのくぼみの砂たまりにでも根をおろしていたものが、大水にさらわれて漂着したものだと思われますが）父の話によると「カワツツジ（川躑躅）（…ナゼか父はそう呼ぶのですが）鉢植えはカナリ珍しいんじゃ！」と言っておりました（笑）で、実際の高津川の岸ツツジの様子ですが、まだ花芽が膨らんだ程度、やはり現場での開花は4月中旬から下旬というところでしょう…地味に楽しみです</description>
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<category>★島根県益田市周辺の植物（山野草を中心に）</category>
<pubDate>Thu, 18 Mar 2010 20:19:57 +0900</pubDate>

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<title>清流高津川が増水していました</title>
<description>ここ数日、益田市は温かく、たまに強い日差しもあったのですが、それ以上に「黄砂」がひどかったですね。昨日、益田市から六日市に行く途中の「高津川」の様子です。先日のシャーベット（というか）ラード状の雪がとけた影響でしょうか？清流高津川がかなり増水していました。撮影場所は、国道１８７号線の軍馬谷と大魚トンネルの間あたりです。もう少し上流の高津川の様子、吉賀町の「つり橋」付近の様子このつり橋の上で発見！虹ができてました。（わかりますか？）【へんしゅう後記】と、なにくわぬ雰囲気でブログ更新したのですが、1か月半以上お休みしていました。冬眠からさめた益田市太郎の地味な益田市情報…ぼちぼち復活します。</description>
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<category>★高津川の風景情報（益田市・津和野町・吉賀町）</category>
<pubDate>Wed, 17 Mar 2010 12:03:22 +0900</pubDate>

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<title>白岩山 一畑薬師堂への登山道ガイド（益田市中垣内町）</title>
<description>先日以来2回にわたりご紹介している益田市の中垣内町にある一畑薬師堂について、&gt;&gt;益田市に一畑薬師が！薬師堂を訪ねて（益田市中垣内町）&gt;&gt;まるで天空のお堂!?　一畑薬師堂からの風景（益田市中垣内町）今回はその道中（登山道）についてです。まずは、スタート地点…「白岩山 一畑薬師堂 入口」と書かれた道標（みちしるべ）があります。（ご覧の通り杖も十本近く用意されております）車でこの地点まで来ることは可能です。ただし、駐車場という専用スペースはありませんが、（いわゆる）車用の退避場がありましたので、そこに車を止めさせてもらいました。車で行けるかどうか？については軽トラ（４ＷＤ）以上の足回りがある車なら可能だと思いますが、（前回も記述しておきましたが）1か所、雨水によるものでしょうか、かなり厳しく浸食された場所があります。初心者はやはり徒歩が無難ですねそこからしばらくは、一畑薬師堂の方向に対し一旦背を向ける形で山道を登っていきます。すると最初の大きなコーナー地点で二体のお地蔵様が…表情も良くて、光の加減が良かったので…もう一枚！このお地蔵様の場所からは、一畑薬師堂にむかって淡々と道なりに登っていく感じです。（当然坂道ではありますが、大変スムーズに歩を進めることができます…）登ること１５分くらいでしょうか！？ゴール地点が見えてきました。ちなみに、画像手前右に「大道山頂へ」という道標が（おわかりですか！？）ここからさらに右に向かう道に分かれます。旧来の大道山への登山道とここで接続しているわけですが、この旧登山道はかなり細い本格的な（笑）山道です。（ちなみに現在の大道山の山頂へは車（といってもやはり軽トラ）でいける登山道（未舗装）が整備されていますよね！）画像奥の小屋（トイレ付）までたどり着くとおおっ！目的地の「一畑薬師堂」がある大きな岩がみえました！…この光景にはかなりびっくりしましたよ！ちなみに…今回最初にご紹介した画像「白岩山 一畑薬師堂」の白岩とは、まさにこの大きくて白っぽい岩のことをさしているのではないでしょうか！？今回で、（とりあえず）益田市の「白岩山 一畑薬師堂」について最後の投稿とさせていただきますので…ここ一畑薬師堂からの絶景スナップを２枚掲載させていただきます。①日本棚田百選の中の一つ平安時代から千年近い歴史があるという中垣内棚田と日本海②白岩山 一畑薬師堂からみた中国山地三子山が左真ん中あたりに見えます。その斜め右上はあの安蔵寺山のはずですが…ここからはギリギリ見えるか見えないかでしょうか！？【ＭＡＰ：…白岩山 一畑薬師堂入口地点（益田市 中垣内町）】</description>
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<category>★益田太郎が選ぶ益田市の（プチ）秘境シリーズ</category>
<pubDate>Sat, 30 Jan 2010 23:26:18 +0900</pubDate>

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<title>まるで天空のお堂!?　一畑薬師堂からの風景（益田市中垣内町）</title>
<description>昨夜ふと考えたのですが、益田市太郎がこれまでご紹介した益田市周辺の（プチ）秘境シリーズは基本的に自動車で行ける場所のみでした。で、このたびの益田市中垣内町の一畑薬師堂は「なんと」初の自力（自分の足）で到達した場所だということに今日気がつきました。おかげさまで益田市太郎、今日は生物学的な目も心眼もかなりクリアでございますさて、機能ご紹介した益田市の「一畑薬師堂」未だ誰からも詳しいコンテンツを頂けないので、今日は（昨日予告したガイドはやめて）薬師堂の裏の岩の頂きから見えた風景をお届けします。まずは「空」季節風に乗った雲がまるで艦隊のように漂っています。標高420メートルの大道山の半分ぐらいの場所とは思えない「高さ」を感じるのは、撮影場所が断崖絶壁の上だからなのでしょうか！？お次は日本棚田百選の中の一つ平安時代から千年近い歴史があるという中垣内棚田本当に素晴らしい光景です。益田市の「一畑薬師堂」は（地味に調べたのですが）明治時代にできたそうですが、このロケーションを選んだ方はすごいと思います。今日はこの辺で！</description>
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<category>★益田太郎が選ぶ益田市の（プチ）秘境シリーズ</category>
<pubDate>Wed, 27 Jan 2010 22:13:31 +0900</pubDate>

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<title>益田市に一畑薬師が！薬師堂を訪ねて（益田市中垣内町）</title>
<description>益田市に「一畑薬師」…薬師堂があることをご存知でしたか？場所は益田市の中垣内町。中垣内町といえば以前このブログでも取り上げましたが棚田で有名ですね！日本の棚田百選の一つに登録されています。&gt;&gt;ガチ人力でつくった中垣内棚田の凄さ上記に記載しておきましたが、ここ中垣内棚田は平安時代から千年近い歴史があるといいます。さて、今回のテーマは一畑薬師如来堂…存在はかなり以前から益田市太郎は知っていたのですが、なかなか現地に赴く機会がありませんでした。（というか決心がなかったのですが）なぜなら、こんな高い場所あるからです！（わかりますか！？お堂の屋根…赤瓦製が見えます）で、行ってみたらズバリ！こんな感じです。（徒歩で約20分ぐらいでした）ありゃ！うまくとれとらん一畑薬師如来堂…証拠はこれ（多分）「マルに一」ここの益田市の一畑薬師堂は小さな岩山の上にあるんですね！最後の石段…足元には気を付けてくださいネ！次回はここ薬師堂までの登山道のガイドです。【MAP:一畑薬師（薬師堂）益田市中垣内町】【へんしゅう後記】コンテンツ充実のためいつものように参考文献を探したのですが、益田市の一畑薬師（薬師堂）に関するまとまった資料がなかなかありません！どなたかご存知の方！是非ともお教えください！ね。ちなみに…久々の投稿で、画像投稿方法が分からなくなってしまった益田市太郎でした</description>
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<category>★益田太郎が選ぶ益田市の（プチ）秘境シリーズ</category>
<pubDate>Tue, 26 Jan 2010 20:03:56 +0900</pubDate>

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<title>米原恭庵の「自信」と「勇気」に学ぶ（益田市　染羽天石勝神社）</title>
<description>元旦の昨日、益田市の柿本神社での初詣で、益田市民の行列におどろきつつ、その後、益田市の染羽町にある染羽天石勝神社（そめばあめのいわかつじんじゃ）にも行ってみよう！ということになりました。染羽天石勝神社に初詣に行くのも益田市太郎初の経験です。で益田市の染羽天石勝神社については後日、改めて詳しくご紹介するとして…この日、染羽天石勝神社にて私は地元 益田市にかかわる偉大な人物を知ることになりました。その人の名前は「米原恭庵」といいます。皆さんご存知でしたか！？江戸時代の医師で、嘉永二年（1849年）、彼が二十一歳のときに高角村（現高津町）で流行したという痘瘡（天然痘）に対し（柿の資料から判断して、おそらく日本人として初めて）牛痘を施し、その被害を抑えたという方です。まずは、社団法人　益田市医師会による米原恭庵頌徳碑（よねはらきょうあん　しょうとくひ）です。米原恭庵頌徳碑（よねはらきょうあん　しょうとくひ）米原恭庵は若くして医学を志し、十七歳で江戸に上り西洋法内外科及び牛痘種法等を修学。二十一歳のとき当時の高角村（現高津町）で痘瘡（天然痘）が流行したため、私財を投じて五百余名の地元民に牛痘を施し、大成功を収めこの災疫から救った。ジェンナーの種痘法後五十年を経た嘉永二年（1849年）7月17日に、オランダのモーニッケが長崎で日本初の牛痘接種に成功しているが、そのわずか二ヵ月後に僻地に住む恭庵が新しい種痘法を実施したことになる。益田医師会は、全国に先駆け牛痘接種を断行し、防疫に貢献した米原恭庵翁の功績をたたえ遺徳を敬仰し頌徳碑を建立した。右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。　　　　　　　　　　社団法人　益田市医師会（※赤文字強調は益田市太郎による）ちなみに、「右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。」はこちらです。私が米原恭庵さんに感じたのは（牛痘接種は）当時の段階ではおそらく「効果がわかかっていても、それ（新しいこと）を実行（行動）するには相当な「自信」と「勇気」があったのだろうな」ということです。今年の私のテーマの一つになりうそうです。この元日に益田市の染羽天石勝神社で米原恭庵さんの偉業をしることとなり大変感謝しています【用語】頌徳（しょうとく）⇒徳をたたえること。（YAHOO!JAPAN辞書より）嘉永2年：「嘉永」は江戸時代徳川幕府時代の元号。ちなみにその4年後の嘉永6年（1853年） アメリカの東インド艦隊率いるペリー提督の来航があったといえば時代の雰囲気はお分かり頂けるでしょうか！？ジェンナーについては以下ご参照エドワード・ジェンナー（Edward Jenner、1749年5月17日 - 1823年1月26日）は、イギリスの医学者。天然痘ワクチンを開発したことで知られる。この時代、イギリスでは天然痘はしばしば流行していた。これに対する予防法としては18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種するという方法がアラブ世界からもたらされたが、この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものであった。ジェンナーが医師として活動していた頃には、牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった 。天然痘に比べると、牛痘ははるかに安全な病気であった。ジェンナーはこれが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェームズ・フィップス（w:James Phipps）という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の７年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。1798年、これを発表し、その後、種痘法はヨーロッパ中にひろまり1802年、イギリス議会より賞金が贈られたが医学界はこの名誉をなかなか認めなかった。また一部の町村では、牛痘を接種すると牛になると言われて苦労したが、接種を「神の乗った牛の聖なる液」と説明したと言われる。しかしその後の天然痘の大流行を機にジェンナーの種痘法は急速に普及し、彼は「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。鳥の習性にも造詣が深く、カッコウの托卵や鳥の渡りを研究した事でも知られている。フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』より引用（※赤文字強調は益田市太郎による）本題とはそれますが･･･ピンクの文字のところについてジェンナーといえば小学校のころに読んだ「わが子の腕に…」という超インパクトのあるキャッチコピーによる記憶があったのですが･･･「1796年5月14日、ジェームズ・フィップス（w:James Phipps）という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の７年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。」という事だったようです。…ジェンナーの業績からして、誰の腕で実験しようと（いい意味で）どうでもイイことなんですけど【ＭＡＰ：染羽天石勝神社（そめばあめのいわかつじんじゃ）（益田市染羽町）】マップトラバもしておきます。</description>
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<category>益田市の偉人・有名人</category>
<pubDate>Sat, 02 Jan 2010 21:01:35 +0900</pubDate>

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<title>初詣で行列をみた（益田市 柿本神社）</title>
<description>皆さん明けましておめでとうございます！今年はクオリティー重視で益田市の様々な話題をとりあげていきたいと思います。（最近の益田市太郎かなり投稿ペースが落ちていますし）本日は初詣ということで益田市の柿本神社へ行ってきました。実は私、元旦に益田市の柿本神社に行くのは初めてのことなんです。で、ビックリしたのが…この行列！益田市では滅多に見られないながさです…柿本神社の拝殿に上がる階段から始まっています全長60～70メートルはあったでしょうか？こんな長い行列…最近の益田市では火曜日の「ゆめタウン益田（益田市高津七丁目21-12）」以外では…なかなか見ることができないのではないでしょうか人麿さんもちょっとビックリしているような…「マジかよ…」って感じのお顔私はただただ、平穏にこの益田市ですごさせていただけることに感謝です帰りに柿本神社から見えた益田市の須子町方面…高津川の名物の一つ「高角橋」と「大和紡績株式会社の関係会社の工場と煙突」の風景です。まさに昭和の香りがプンプンです！それでは、今年もよろしくおねがいしマスダ！</description>
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<category>柿本神社（かきのもと神社）（益田市高津）</category>
<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 19:46:14 +0900</pubDate>

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<title>益田越中守兼堯の像の視線を追う（益田市七尾町）</title>
<description>今回は久しぶりに益田市の話題。益田市の偉人・有名人として益田兼堯（ますだ かねたか）に関する話題。益田兼堯（ますだ かねたか）といえば雪舟による益田兼堯像が有名です。（以前も取り上げましたが）この雪舟筆　「益田兼堯像」は益田市の市立 雪舟の郷記念館に収蔵されているということですが、なぜか、なかなかタイミングが合わず未だに鑑賞することができていませんそんな益田市太郎の愚痴をある人に伝えたら「銅像ならいつでも見れるぞ！」ということで場所を聞いて早速見に行ってきました。場所は益田市七尾町の妙義寺の（道をはさんだ）正面におられました。この像…自信ありげな表情に頼りがいを感じませんか？益田兼堯さんはどこを見つめ何を思っておられるのでしょうか…台座には益田越中守兼堯公像と（この文字はかつての衆議院議長 桜内義雄氏によるものです）越中守とはどのような役職？名なのでしょうか…結構調べたんですが未だに解明できていません。横には益田兼堯に関する益田市観光協会による説明文があります。内容はよさそうなのですが…黒御影で読むのにマジ疲れるので得意の（笑）フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』からの引用させていただきました。益田 兼堯（ますだ かねたか、? - 文明17年（1485年））。は、室町時代後期の人物。石見の国人領主益田氏当主で第15代益田城城主。益田兼理の子。益田常兼の弟。益田貞兼、女子（陶弘護妻）の父。越中守。永享3年（1431年）、父と兄が大内盛見に従い九州の少弐氏、大友氏と戦い、盛見と共に戦死したため家督を継いだ。以来、益田氏の当主を長期にわたって務め、大内氏のみならず幕府とも直接、誼を通じ、それぞれの戦いで着実に戦功を積み勢力を拡大させた。応仁の乱の際は大内氏に従い西軍に属し、文明2年(1470年)　大内教幸（道頓）の反乱の際には、女婿の弘護を支援し石見の有力国人の吉見信頼らを制圧した。その一方で、東軍の細川氏とも通じていたとされる。晩年は子の貞兼に家督を譲って隠居した。雪舟と親交があったと伝えられており、彼が描いた兼堯像は国の重要文化財に指定されている。【フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』より引用】この『ウィキペディア（Wikipedia）』の内容だけでも益田氏や益田 兼堯（ますだ かねたか）には随分興味がそそられるものがありますね【ＭＡＰ：益田越中守兼堯公像のある場所（益田市七尾町）】※マップトラバもしておきます。</description>
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<category>益田市の偉人・有名人</category>
<pubDate>Sun, 27 Dec 2009 01:41:27 +0900</pubDate>

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<title>犬戻地蔵尊と高津川がつくった地形（津和野町）</title>
<description>今回は久しぶりに高津川の風景情報です。益田市を流れる高津川、その周辺の地形は津和野町日原までは比較的穏やかな感じがします。ですが、津和野町日原から吉賀町までとなると途中何か所か険しい地形を見ることができます。中でも、国道１８７号線「犬戻トンネル」の前後は、高津川自体も大きく蛇行している場所でもあり、見た目は緑が生い茂った山々も、一皮むけば（実は）かなりの岩山だろうと想像できます。このあたりの地形の険しさを、歴史的なモノで実感することができました。それは「犬戻地蔵尊」です。毎月数回、益田市から吉賀町の六日市に行く途中はいつも見かけながら通り過ぎていた場所の一つでした。ネット上ではこの「犬戻地蔵尊」を詳しく取り上げたサイトもなく、私も事前情報皆無の状態で訪れた「お地蔵様」です。場所は、津和野町から吉賀町に通じる国道187号線（通称でしょうか？「ひとはなライン」とルビが…）吉賀町方面に向い犬戻トンネル、その数百メートル手前左側、石段をあがった所にあります。（案内標識あり）うわ～！こんな立派な社があるんですネさて、そもそもこの犬戻地蔵…犬戻（いぬもどし）とはどんな意味があるのでしょうか？社のすぐそばに、「犬戻地蔵尊の由来」という看板がありました。（以下、看板の記述）犬戻地蔵尊の由来犬戻は吉賀川筋交通の難所で、川端から岸壁がそそり立ち、犬さえも恐れて後戻りをするので犬戻しとよばれ、人は通ることができませんでした。それで枕瀬側からけわしい山路を登り、そこから円の谷へ下りて通行しておりました。　すなわちこの地蔵さまは、その頂上に交通の安全を祈願して祀られたもので、その時期は大体寛保三年（1743）八代将軍吉宗の頃であろうと推察されております。　この地蔵さまは、交通安全はもとより婦人病や諸病に霊験あらたかで、崇敬者が多く、毎月二十四日のご縁日や、春秋の大祭には近郷近在から多くの参拝者が訪れます。　　この地へは昭和五十八年国道の大改修により遷座したものであります。　　大祭日　四月二十四日　　　　　　　八月二十四日　　　　昭和六十年十二月吉日　　　　　　　　　　犬戻地蔵講どうやら、この犬戻地蔵様は現在の、この場所ではなくもっと高い場所に祀られていたようですね。犬戻は吉賀川筋交通の難所で、川端から岸壁がそそり立ち、犬さえも恐れて後戻りをするので犬戻しとよばれ、人は通ることができませんでした。現在は、こんな感じで、国道１８７号線（奥に見えるのが犬戻トンネルその手前に犬戻橋）が通っているので快適に通行できますが、以前は、相当な難所だったようです。枕瀬側からけわしい山路を登り、そこから円の谷へ下りて通行しておりました。実際に昔の人々がどのようなコースを通行していたのかは益田市太郎は知りません。けれども以下の地図（等高線のつまり具合）をみてもこのあたりの地形が通行には相当厳しかったことが想像できますネ。特に駐車場はありませんが、道をはさんだ反対側に高津川側に、車４～５台分はとめられるスペース（退避場）があります。その際、国道の横断には十分気をつけてくださいネ。（犬戻トンネル側はカーブになってるんで、吉賀町方面からの車は見通しが悪いです。また、地元の方には飛ばし屋が結構多いんで…念のため）</description>
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<category>★高津川の風景情報（益田市・津和野町・吉賀町）</category>
<pubDate>Mon, 14 Dec 2009 23:11:10 +0900</pubDate>

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<title>銀河回廊出現！グラナリエ2009 （グラントワ益田市有明町）</title>
<description>益田市有明町にあるグラントワ（島根芸術文化センター）で11/20(金)～12月25日（金）の間だけ出現する「グラナリエ」先日以来その2009年バージョンをご紹介しています。テーマは、「今年のグラナリエはどんなＣＨＡＮＧ（変化）があったのか！？」前回の&gt;&gt;グラナリエ2009の鑑賞…逆さグラナリエ（グラントワにて）では、グラントワ内の巨大な水盤上に現れるグラナリエの本体（？）の画像でした。（ちょっと斜めだったのが悔しい）前回の投稿画像で…「今年のバージョンアップは（世相を配慮して）地味目？」と思われた益田市の方も多かったのではないかと感じまして。早めに投稿することにしました…次の画像なんとファンタスティックなイルミネーションでしょうか！グラントワの南側の50メートル近い回廊に施されたイルミネーションです。まっ、まさに「銀河」を思わせる回廊…「グラナリエ2009銀河回廊」とでも名付けましょうか！？全国150万人を超えるともいわれる隠れグラントワファンの代表、蔵奈利恵さん（仮名）によると、ファンの間ではla voie lactéeラ・ヴォワラクテと呼ばれているそうです（そうです…やはり、おフランス語ですよネ）この、la voie lactéeさらに、撮影技術を駆使すれば…名づけて…La Danse des Papillons（ラ・ダンス・デ・パピヨン）…「蝶々の舞」もしくはLa Fantaisie des Papillons（ラ・ファンテジー・デ・パピヨン）…「蝶々のファンタジー」とでも題せるようなレアな画像をゲットできました！益田市だけじゃなく全国的に暗い空気の中、この時、かりそめではありますが明るい気持ちになれました…グラントワさんには本当に感謝しマスダ！グラナリエ2009…これまでのその他の投稿は↓コチラ&gt;&gt;「おろち」クリスマスを待つ（益田市 有明町のグラントワにて）&gt;&gt;おろちグラナリエ2009バージョンをみた！（グラントワにて）まだまだ続きます…</description>
<link>http://masuda.shimanavi.net/e16716.html</link>
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<category>グラントワ（島根県芸術文化センター）（益田市有明町）</category>
<pubDate>Sun, 06 Dec 2009 14:51:57 +0900</pubDate>

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<title>グラナリエ2009の鑑賞…逆さグラナリエ（グラントワにて）</title>
<description>益田市のクリスマスの話題といえば、グラントワ（島根芸術文化センター）のグラナリエ2009！前回は、グラントワの正面エントランス前の大きな御影石のモニュメント、澄川喜一先生による「おろち」。そのグラナリエ2009バージョンを紹介しました。&gt;&gt;おろちグラナリエ2009バージョンをみた！（グラントワにて）今回は、いよいよ、グラントワ内、グラナリエ2009です駐車場に車を止めて（※笹が枯れるので前進駐車にご協力ください）グラントワの南エントランスより入場…そして…中庭広場の巨大水盤を見ると！ありましたグラナリエ2009です！イルミネーションが水盤上に設置されているので、シンメトリーとして楽しめます！さらに、水面に映ったグラナリエ2009（通称：逆さグラナリエ2009）の像は、時折の風によるさざ波で、いろいろ変化するのでボーッと眺めていても退屈しません（けっこう寒いんで…防寒対策したほうがよいでしょうネ）※画像…ちょっと斜めになってしましました（スミマセン）さて、グラナリエ2009、昨年のグラナリエ2008と比べてどんなＣＨＡＮＧ（チェンジ）…つまり「変化」があったのか…わかりますか？「この一枚の画像だけじゃわからんのう…」という文化力あふれる益田市民の声も聞こえてきますネ！では！是非、明日の晩にでもグラントワに行ってみてきてくださいネ！（今晩でもまだ間に合うぜよ）グラナリエ200911/20(金)～12月25日（金）17:00～22:00料金:入館無料【ＭＡＰ：グラナリエの場所田と「おろち」の場所（家マーク）…グラントワ（島根県芸術文化センター）益田市有明町】次回は引き続きグラントワ（島根芸術文化センター：益田市有明町）のグラナリエ2009の話題です。テーマはla voie lactéeです。（行った人ならわかるはず）</description>
<link>http://masuda.shimanavi.net/e16668.html</link>
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<category>グラントワ（島根県芸術文化センター）（益田市有明町）</category>
<pubDate>Sat, 05 Dec 2009 19:20:10 +0900</pubDate>

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<title>おろちグラナリエ2009バージョンをみた！（グラントワにて）</title>
<description>前回は、クリスマスを待つ！という感じで益田市有明町にあるグラントワ（島根県芸術文化センター）の巨大モニュメント「おろち」の日中の雰囲気をお伝えしました。&gt;&gt;「おろち」クリスマスを待つ（益田市 有明町のグラントワにて）（2009．12．03）で、今日（今晩）、（いよいよ）夜の「おろち」の様子を見てきました。さて、（勝手に）名づけて！おろちグラナリエ2009 バージョンです！おおっ！おろち様！（昨年に比べ）ディグニティーつまり威厳がＵＰ！したって感じです！さすがです！「おろち」の下にある電飾（笑）による文字はGrand Toitと書かれています。Grand Toitつまりグラントワ（Grand Toitってフランス語で「でっかい屋根」という意味だそうです）赤いラインの部分も「おろち」のボディーつまり本体の曲線と調和して…動きを感じマスダ！さて、当の「おろち」様の気分はどうなんでしょうか？…近くに行ってみました！おおっ！凛々しいのう！夜の益田市の天空をみつめ…何を思ってるのでしょうか…夜、ライトアップされた「おろち」の顔…よくみるとメガネをかけた宮川大輔くんに…スミマセン！それにしても、夜の益田市…有明町から駅前までかつてのメインストリートを久しぶりに通りましたが…ずいぶん落ち着いていますネ。【地味益アーカイブ　おろちグラナリエ2008】ちなみに「おろちグラナリエ2008」…昨年はこんな感じで鎮座しておりました。さて、次回はいよいよグラナリエ2009の12月4日バージョンを投稿します</description>
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<category>グラントワ（島根県芸術文化センター）（益田市有明町）</category>
<pubDate>Sat, 05 Dec 2009 00:33:26 +0900</pubDate>

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<title>「おろち」クリスマスを待つ（益田市 有明町のグラントワにて）</title>
<description>益田市を民（間）俗学的に観察しよう！という気持ちで始まったこのブログ「萩石見地味に益田市」も１年がたちました。早いもんですね～１年って最近の山陰、石見地方、特に益田市は例年のごとく、太陽光が乏しい、どんよりと暗い季節になってきました。そんな中、益田市の年末に私が期待しているのが、益田市有明町にある島根県芸術文化センター「グラントワ」のクリスマスバージョン！です。今年のグラントワのイルミネーション…グラナリエ2009は聞くところによるとかなりのバージョンアップが施されるようです！楽しみですね！参考までに2008年バージョン↓&gt;&gt;グラナリエ2008 芸術的なイルミネーション&gt;&gt;おろち君からメリークリスマス（グラントワ）今日は、グラントワのエントランス（つまり入口）前にある、石のモニュメント「おろち」の様子、平日日中の画像をお届けします。益田市名物「どんより冬雲」のもとでちと存在感がつかみにくい撮影になりましたがみなさん、わかりますか？「おろち」くんもう少し近くでみたグラントワ白昼の「おろち」作者は澄川喜一（すみかわ きいち）先生です。澄川喜一先生は現在東京都墨田区押上に建築中の東京スカイツリー（高さ634m…自立式電波塔の高さ世界一となる予定）のデザイン監修をされた方です。（ちなみにワシは東京に行った時は、いつも自慢しとる）…あっ、現在建築中の「東京スカイツリー」来年の春頃には、（早くも）東京タワーの高さ（332.5ｍ）をクリアしちゃうそうです！さすが、大林組！はなしは戻って、ふたたびグラントワの「おろち」画像右下の芝生斜面の上には、クリスマス用のイルミデコ文字が準備されていますネ！夜はどんな感じになるのか…昨年はこんな感じに見事におろちのおでこにデコられてました！（ある意味グラントワの職員は凄いのう）澄川喜一先生の芸術作品「おろち」…今年2009年にはどのようなデコが施されるのか…年末の地味な関心事項ですネ【ＭＡＰ：益田市有明町にある島根芸術文化センターグラントワで澄川喜一先生の作品「おろち」がある場所】（だいたい）同じ場所にマップトラバしておきます。気になるグラントワのグラナリエ2009については、近々最新画像をお届けします！</description>
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<category>グラントワ（島根県芸術文化センター）（益田市有明町）</category>
<pubDate>Thu, 03 Dec 2009 21:29:28 +0900</pubDate>

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<title>扇原関門跡 浜田藩と津和野藩の標柱の発見（益田市誌より）</title>
<description>岸静江国治、扇原関門跡について調べてみると、この益田市周辺の近代史にもいろいろと興味深い出来事や人物の存在があることがわかりました。今日は、ちょっと軽い話題を…以前、私が初めて扇原関門跡を訪ねた際、幕末の古戦場の雰囲気を感じた！的にとりあげた【関連投稿】&gt;&gt;扇原関門跡で感じた岸静江国治の魂（益田市 多田町）↑このページの下の方に標柱の画像と、それを見たときの（私の）感想があります。（今から思へば笑へます）では！地政学的に見て面白い位置に存在する益田市の歴史的資料ともいえる「標」２つに関する発見！です。（かなりトリビアな話題です）「浜田（濱田）藩の領界を示す標柱」と「津和野藩の領界を示す標柱」扇原関門跡（益田市多田町）にて撮影※２つの標柱の画像を編集（連結）しています。実際は街道跡をはさんでほぼ向かい合っています。実は、この２本の標柱、それぞれ（一時的に）益田市の民家（たぶんお屋敷）の庭にしばらくおかれていたようです。※ちなみに津和野藩の標柱の文字はかなりの達筆だと思います（カッコイイ！感涙）【画像出処：益田市誌 下巻　P209】益田市誌（上・下巻）昭和五十三年六月三十日 発行編纂者　益田市誌編纂委員会発行者　益田市最初に扇原関門跡でこの2つの標柱をみたとき、「このような歴史的に貴重なものが、よくもまぁ、ありのまま残っていたもんだ！」と思いましたが、良く考えてみればわかるのですが…もし、ここ益田市多田町の扇原関門跡で、昔からずっとこの「浜田（濱田）藩の領界を示す標柱」と「津和野藩の領界を示す標柱」が残存し続けている方が歴史的に変なわけです。（政権交代のすえ、廃藩置県となり浜田藩も津和野藩もなくなったわけですからネ！）ちなみに今回浜田藩について調べることがあったのですが、その際、上野国（群馬県）生まれの岸静江国治がそもそもここ石見の地（現在の益田市の）扇原関門に赴任することになった経緯…松平（まつだいら）〔越智（おち）〕家についての資料がありましたので引用しておきます。松平（まつだいら）〔越智（おち）〕家 1836年～1866年上野国館林藩より第6代将軍・徳川家宣の弟・越智清武を祖とする松平（越智）斉厚が6万1000石で入封した。第15代将軍・慶喜の実弟であり、水戸徳川家から養子に入った第4代藩主・武聰は、慶応2年（1866年）、第二次長州征伐のとき、浜田口を担当し、長州藩側の大村益次郎が指揮する軍に悉く撃破された。浜田の街に長州軍が入ったときには、武聰は戦わずして浜田城を放棄して松江城に逃れた。その後、武聰は美作国の飛び地（鶴田領）まで逃れ、ここで鶴田藩を興して明治維新を迎えた。この際に、浜田の街は焼き払われ浜田城も同時に灰燼に帰した。その後、浜田は長州藩の占領下となり廃藩となる。明治2年（1869年）、版籍奉還により隣接して同じく長州藩の占領下にあった天領・石見銀山領とともに大森県となり、さらに明治4年（1871年）、県庁が浜田へ移転され浜田県となった後、島根県に編入された。（フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』より引用）太字強調は益田市太郎による美作国（みまさかのくに）は現在の岡山県美作市にあたるそうです。美作国宮本村っていえば…「宮本武蔵」の出身地とも言われている場所ですね（あくまで伝承ですが）。尚、鶴田は「たずた」と読むそうです。ところで、島根県の浜田市って最近の駅前商店街とかは、益田市より寂しい雰囲気なんですが、昔は凄かったんですね！いろいろと</description>
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<category>岸静江国治と益田市</category>
<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 13:55:09 +0900</pubDate>

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<title>扇原関門と岸静江国治の最後　吉田軍人会による記述</title>
<description>先日お約束しました「昭和八年に吉田軍人会によって建てられた記念碑の碑文…岸静江国治の戦死の姿態（諸説あるうちの一つとして）に関する記述が掲載されています。」を引用しておきます。「徳川幕府ノ末期、天下挙ッテ騒然タルノ時、岸静江源国治、浜田藩ノ命ニ依リ、我ガ扇原関門ヲ預リ往ス。斯テ長州再征ノ役起ルヤ、時ハ慶応弐年六月十六日、幕軍ノ西下ニテ先チ、長軍ノ一隊、東進スベク来襲シテ開門ヲ請フ。然ルニ靜江、只管命ノ重キヲ奉ジ、頑トシテ之ヲ肯ゼズ。而モ敵ハ、奇兵ノ大勢ナリ。爰ニ於テ、既ニ意ヲ決シタル靜江ハ、先ズ猟銃ヲ携ヘ、加勢ニ集エル付近ノ農民ニハ、旨ヲ諭シ退散ヲ命ジ置キ、挺身武装ヲ固メ、以テ防戦ニ之レ力ム。サレド奈何セン、剛勇ニシテ錚々タル、十字長槍ノ達人タルモ衆寡適セズ、切歯シテ悲愴ナル、最後ヲ遂グ。乃チ飛弾満身、既ニ絶命スト雖モ、門前ニ槍ヲ杖キテ、仁王トナレリ。宛モ生ケルガ如ク、儼然トシテ瞑目ス。為ニ敵兵ヲシテ、大ニ之ヲ訝ラシメ、暫シ進軍ヲ躊躇セシム。其層壮烈人咸感嘆セザルナシ。亨年三十一歳。　昭和八年四月二十五日、靖国神社ニ合祀。」益田市誌（下巻）P213～214より引用昭和五十三年六月三十日 発行　編纂者　益田市誌編纂委員会　発行者　益田市「既ニ意ヲ決シタル靜江ハ、先ズ猟銃ヲ携ヘ、加勢ニ集エル付近ノ農民ニハ、旨ヲ諭シ退散ヲ命ジ置キ、挺身武装ヲ固メ、以テ防戦ニ之レ力ム。」何度読んでも壮絶なシーンです…「命を投げ出す覚悟」！まさに公に務める意識の「塊」だと思いませんか！？剛勇ニシテ錚々タル、十字長槍ノ達人タルモ…岸静江国治は「十字長槍」の達人だったんですね！十字長槍といえばバカボンドの胤舜（いんしゅん）の宝蔵院流十字槍を彷彿させますが（胤舜のは「十文字鎌槍」なんでちょっと違うか…どんな槍だったのでしょうか？）既ニ絶命スト雖モ、門前ニ槍ヲ杖キテ、仁王トナレリ。宛モ生ケルガ如ク、儼然トシテ瞑目ス。…そうです！この話が、かつて、益田市で「花神」で盛り上がっていた頃に、学校の先生から聞いた話でした。（岸静江国治の最後は他にも色々な説があるそうです）また益田市誌（下巻）P214には「関址に建てられた静江の碑」として、扇原関門跡で感じた岸静江国治の魂（益田市 多田町）で掲載した「岸静江 戦死之地」の碑の画像（モノクロ）がありました。これは先日現地で撮ってきたもの…この碑の文字を書いた方の名前があることに気が付きました…陸軍中将 野島忠孝 書とあります。軍人データベース 『サクラタロウ DB (Purunus DB)』によると、野島 忠孝（のじま ちゅうこう）官位 ： 陸軍中将  主な補職 ： 歩兵第10旅団長  兵科 ： 歩兵  学校 ：士官生徒8 陸大8  出身地 ： 島根県  生歿年 ： 元治1年9月6日 - 昭和19年3月13日  野島忠孝陸軍中将とはどんな方なのか？調べてみたのですがあまり詳しくはわかりませんでした。ただ、野島忠孝陸軍中将の「像」は島根県の浜田市にあると思われます。（詳しい場所は不明）「岸静江国治」に関する特集記事。&gt;&gt;岸静江国治をご存知ですか！？（益田市 多田町）&gt;&gt;扇原関門跡で感じた岸静江国治の魂（益田市 多田町）&gt;&gt;岸静江国治外伝　矢風奥録（益田市某所）&gt;&gt;発見！扇原関門跡 明治時代のモノクロ写真</description>
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<category>岸静江国治と益田市</category>
<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 23:14:08 +0900</pubDate>

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<title>発見！扇原関門跡 明治時代のモノクロ写真</title>
<description>今月の初め頃、「益田市の偉人有名人」で特集していました岸静江国治（きし しずえ くにはる）。あれで終わり？と思った方もいるかもしれませんが、益田市太郎、地味に、じゃなかった地道に情報収集していました。2009年11月に突如として特集開始した益田市の歴史上の人物「岸静江国治」に関する特集記事は以下の３つ。&gt;&gt;岸静江国治をご存知ですか！？（益田市 多田町）&gt;&gt;扇原関門跡で感じた岸静江国治の魂（益田市 多田町）&gt;&gt;岸静江国治外伝　矢風奥録（益田市某所）まずは益田市の現在の扇原関門跡の様子（多田方面から撮影）木が繁って全体的に薄暗い感じです。そして、これが明治時代に撮影された扇原関門跡（扇原関址）の画像です。おそらく左ヶ山方向からの撮影かと思います…（この画像の出処は明治43年5月15日の石見実業時報だそうです）随分、雰囲気が違いますネ。大きな松の木があったようです。この（明治時代の）画像なら「ここに関門（関所）があった」ということもわかるような気がしませんか！？（画像左下の白くみえるものが岸静江国治の墓だそうです。これは現在ここに設置されている「岸静江 戦死之地」の石碑とは違うものですネ。）今回の「発見！明治時代の扇原関門跡の画像」での貴重な情報のリソース（情報源）は益田市誌（益田市誌は益田市の歴史・民俗・地理学等を網羅しているという意味で益田市の至宝と（私が勝手に）思っとります。）益田市誌（上・下巻）昭和五十三年六月三十日 発行編纂者　益田市誌編纂委員会発行者　益田市その下巻「政治篇」（P205～）「第一章 明治維新」第一節　長州征伐と石見地方扇原関門と岸静江（下巻P213～P214）で発見しました。ここでは他に貴重な情報として①昭和八年に吉田軍人会によって建てられた記念碑の碑文…岸静江国治の戦死の姿態（諸説あるうちの一つとして）に関する記述が掲載されています。（内容については、いつか引用、投稿しますね）②（また、私が初めて知ったことなんですが…）益田戦争における戦死者に関する記述（「征長の役の戦死者」同上P214)もありました。その中に特筆すべきことがありました！長州藩の戦死者の中に乃木三蔵という方がおられたそうです。この方はあの乃木希典（のぎ まれすけ）陸軍大将の従兄弟にあたるということなんです。そして、乃木希典（のぎ まれすけ）陸軍大将が第三軍司令官として旅順攻撃を指揮した翌々年の明治三十九年には（乃木大将）御自ら益田市の妙義寺山内の従兄弟の三蔵氏の墓を詣でた…つまり、かつて、この益田市の地に乃木希典大将が…というわけです。なんだか、また益田市の歴史で凄いことを知ってしまったので皆さんにもシェアしときマスダわけです（…で、ふと思ったのじゃが、長州軍がここ扇原関門で岸静江国治と戦い、制圧したにもかかわらず一度横田に戻ったのはここでの乃木三蔵という方の戦死とも関係があるのではなかろうか…なんせこの戦いの数年後、明治4年（1871年） には陸軍少佐になる乃木希典の従兄弟であるから…）【上記仮説に関する訂正却下】後日、乃木三蔵が戦死したのは1886年6月17日ということがわかりました。扇原関門跡での戦い（最初の武力衝突＝岸静江国治の戦死は1886年6月16日）はその1日前となります。乃木三蔵の戦死は翌日17日益田市の萬福寺（益田市東町25－33）での戦闘によるものということでした。（記：2009年12月4日）【ＭＡＰ：扇原関門跡（益田市多田町）…位置はおおよそです】多田温泉わきの農道を登って行くと、岸静江国治の墓があり、道をはさんだ向い側に「扇原関門跡への案内板」があります）マップトラバも大体同じ位置にしておきます。</description>
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<category>岸静江国治と益田市</category>
<pubDate>Wed, 25 Nov 2009 22:26:41 +0900</pubDate>

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<title>「やすらぎの森・宇生」で発見！幻の大松林（萩市 江崎 宇生）</title>
<description>先日、益田市のすぐお隣、山口県萩市の江崎の宇生（うぶ）にある「やすらぎの森・宇生」での出来事を取り上げました。そうです！萩市 須佐町の沖にある四ツ瀬のはるか先に「見島」が見えたということでしたネ！&gt;&gt;見島が見えた！「やすらぎの森・宇生」（萩市 江崎 宇生）その後、江崎の宇生から「見島」が見えるんだったら…「島根県の益田市からも見えるんじゃなかろうか！？」という疑問に…コメントにてお応えを頂きました。結論からいって「益田市からも見島が見える！」そうです★見島画像ＦＲＯＭ益田市をいつかきっと投稿しますネ！さて今日は先日の投稿で伝えきれなかったこと…「やすらぎの森・宇生」で見つけた大松林です。益田市周辺の海岸では以前は、本当に大規模な松林があったのですが、いまは例の「松枯れ」によって枯れ松と赤茶けた松が多くなり…見ていると寂しくなるような…末林となっています。この「松枯れ」の現象はなにも益田市だけではなく津和野町、清流高津川流域の吉賀町でも同様の被害が確認できます。そして、お隣の山口県の萩市でも（国道191号線沿いでは）「松枯れ」の状況は同じく酷いものです。もう以前のような元気な松林はこの世（あっ言いすぎました）「山陰地方」に存在しないのだろう…」と最近は諦めていたのですが…実は！先日発見しました！元気な松林を！しかも大松林です（益田市太郎の尺度ですけど）早速公開します！これです！（上の画像と下の画像はひと続きです）この松林は、萩市の江崎と益田市の飯浦（いいのうら）との境にあたるところと思われます。下の画像の左側の海に向かったところに大きな岩が確認できると思いますが…おそらく鈩崎（もしくは）その先の三生島に当たると思います。【ＭＡＰ：宇生の大松林と鈩崎（益田市の飯浦町と萩市の江崎町）および三生島周辺がわかる地図】これだけの大規模で松枯れが見られない松林…今や山陰地方では珍しいと思いマスダ。また、「やすらぎの森・宇生」は「鳥獣保護区」…今や珍しい？鳥も沢山いるようですネ。これだけの自然が保たれている理由は…と不思議に思ったのですが。この林道を走っていて須佐方面に向いたときにわかりました。須佐の高山の頂上付近に睨みをきかせた姿と左上方には輝き照らす姿が…仲良く…豪華です（感涙）</description>
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<category>益田市太郎が見つけた山口県萩市の話題</category>
<pubDate>Tue, 24 Nov 2009 23:13:18 +0900</pubDate>

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<title>長沢トンネルで日本初を見た（益田市長沢町）</title>
<description>前回ご紹介した長沢トンネル益田市の横田町から匹見につながる国道488号線。現在長沢バイパス工事の前半部として平成21年11月2日に開通しました。長沢トンネルの入り口、トンネル歴板等の画像はコチラ&gt;&gt;長沢トンネル開通で短くなった匹見町への道のり（益田市長沢町）で、新しい物好きの私、益田市太郎は早速この長沢トンネルを走破してきたのですが…実はこの長沢トンネルの中を走っているとなんとなく普通のトンネルと違う感じが！？しました。気になったので（例によって）調べてみました。「長沢トンネル　工法」で検索したところ鴻池組さんの公式サイト内で以下のページを発見しました。&gt;&gt;トンネル覆工コンクリートの養生技術　温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法　K-tics温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法　K-tics…どうやら、国内初の新技術が採用されたようです！さらに、もうひとつ（同じく鴻池組さんのサイト）で以下のページを発見しました！&gt;&gt;長沢１号トンネル　山岳トンネルにおける新しい技術の導入というキーワード ズバリ！のページを発見しましたなんと！益田市のこの長沢1号トンネルには、◆温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法◆トンネル地山評価システム２つの日本初の技術が導入されているとのこと…どうりでネ…そんな感じがしたっす温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法（K-tics）、トンネル地山評価システムともにまさに、今後の山岳トンネル工事にどんどん採用されるべきノウハウですね。（詳しくは上記リンク先（鴻池組さんのサイト内）を参照してください。）鴻池組さんに限らず大手ゼネコンさんの「新工法」とか「新システム」には「ナルホド！」って感動させられることが多いです長沢トンネル歴板にもそのコト記述しておけば良かったのに…ねところで、この長沢トンネルの歴板の日付（年月）2009年3月となっています。これって一体どのタイミングの年月なんでしょうか？島根県の道路開通情報（益田）によると開通は2009年…平成２１年１１月２日となっています。事業着手は平成１６年度。（１号）トンネル掘削開始は平成１９年３月。貫通は平成２０年７月です…長沢トンネルにとって2009年3月とはどんな意味があるのでしょうか？※長沢バイパス工事の当初作成されたと思われるサイトでは「（仮称）長沢１号トンネル」となっていました。で結局「このトンネルの正式名は何？」と感じたのですが、トンネル銘板をみると「長沢トンネル」となっていて「１号」という表記は特にありませんでした。新聞社の記述も「長沢トンネル」となっていたので…「じゃぁ、２号は…？」ってことが新たに気になり始めました。【ＭＡＰ：長沢トンネル】今回は長沢トンネルの匹見側からの入口に田（中心点）を設置しました。マップトラバも同地点に設定しました。</description>
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<category>★益田太郎が選ぶ益田市の（プチ）秘境シリーズ</category>
<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 20:40:35 +0900</pubDate>

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<title>長沢トンネル開通で短くなった匹見町への道のり（益田市長沢町）</title>
<description>益田市の横田町から（益田市）匹見町へむかう国道488号線。清流匹見川の大自然を満喫できるんで益田市太郎のお気に入りのルートの一つです。ただし、この国道４８８号線。はじめてのドライブには結構シビアな箇所が場所が多い。（まぁだからこそ極上の風景が楽しめるわけですが…）実は、現在、この国道488号線で「長沢バイパス工事」というのが進められており、そのうち今月のはじめにまずは前半部分の「長沢トンネル（長沢第１トンネル）」が開通（平成21年11月2日）したそうです。これで益田市市街地から匹見町へ道のりが短くなりましたちなみに、「長沢バイパスの開通により延長が３．６ｋｍ減少し、通過時間が約１０分短縮される」といいます。（島根県 トップ＞益田県土整備事務所＞道路建設 国道４８８号　長沢バイパスより…本ページの下の方に「テキストリンク」しています。）…私的には、（長沢1号トンネルを実際に利用してみて）もっと短縮できるような気がしましたが…気分的なもんでしょうか？さて、この嬉しい知らせに（ちょっと遅くなったのですが）先日見てきました！「長沢トンネル」これが「長沢トンネル」の入口（益田市横田町側）…まさに「できたて」の白さ【ＭＡＰ：長沢トンネルの入口（益田市横田町側）地点】（地図の中心点田が上の画像、下の画像地点を目印（「家」のマーク）にしてみました。匹見川沿いの既存の国道488号線のルートは狭くて見通しが悪いところが多かったですよネこれが匹見町側からみた入口そしてこれが長沢トンネル歴板…ピカピカです！なぜか2009年3月となっています【長沢バイパス工事後半部について】今後は長沢第２トンネルが計画されているようで…（おそらく）この山（左側）を貫くんでしょうネ！ちなみに、長沢トンネルを抜け、匹見方面に向かう国道488号線の画像（乗用車、見えますか？）どんな（厳しい）場所をはしっているか…伝わりましたでしょうか！？（ていうか…自分で撮った画像を見て気づいたのですが、）ここらあたりの匹見川って、両岸が重厚な岩場なんですネ！岩（場）の中を流れているって感じです。【長沢トンネルの数字を知る！】延長：１０３８メートル幅：８．５０メートル（２車線）高さ：４．７０メートル平成１８年度より着手しているという「国道４８８号長沢バイパス工事」実は今回の長沢トンネルはこのバイパス工事のおよそ半分にあたるそうです。島根県の公式サイトでの島根県 トップ＞益田県土整備事務所＞道路建設 国道４８８号　長沢バイパス　によると事業概要計画区間　　　 　益田市長沢町～益田市匹見町澄川計画延長　　　 　Ｌ＝３．２ｋｍ計画車線数　　　２車線主要構造物　　　トンネル：２本　（１号　Ｌ＝１，０３８ｍ　、　２号　Ｌ＝約１，２６０ｍ）　　　　　　　　　　橋梁：４橋　（本線橋　２橋　、　現道付替橋　２橋）事業期間　　　　平成１６年度～平成２５年度全体事業費　　 約７０億円※次回は、この「長沢トンネル」の内部について特集します！（予定です）【国道４８８号線について】国道４８８号線は起点を島根県益田市の横田町 （国道9号交点）とし匹見町につながっています。そして広島県廿日市市の上平良交差点 （国道2号交点）まで）の総延長109.7km。かつて、（ナビにしたがって）広島県廿日市市吉和から匹見にぬけようとしてエライめにあった（大雨かつ道幅酷セマ）ことを私は今でも鮮明に覚えておりマスダ！※マップトラックバックは長沢第１トンネルの益田市横田町側入口に設定しておきました。</description>
<link>http://masuda.shimanavi.net/e15693.html</link>
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<category>★益田太郎が選ぶ益田市の（プチ）秘境シリーズ</category>
<pubDate>Sat, 21 Nov 2009 22:39:54 +0900</pubDate>

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<title>第2回萩・石見空港マラソン全国大会の結果を見て思ったこと</title>
<description>先月10月18日に益田市で実施された、第2回萩・石見空港マラソン全国大会。このブログでも何回かに分けて2回目になる萩石見空港マラソンのスナップ投稿しましたよ（ページ下の方にまとめておきます）。で、その後（益田市太郎、個人的に）気になっていたのが、この萩石見空港マラソンの「結果」と「タイム（記録）」（第2回萩・石見空港マラソン全国大会の翌日、には結果や記録が益田市のどっかのサイトで、いち早い記録発表がされているのではないかと思って、「第2回萩・石見空港マラソン全国大会 結果」とか「第2回萩・石見空港マラソン全国大会 順位・記録」とかでいろいろ検索してみたのじゃが…ワシの力量では探し出すことができんかったで、その後2、3日たったら、ワシの（大衆心理の僕としての）使命はどっかに消えた…つまり忘れてしまった）で、今日、11月の半ばとなりやっとここで発見（？）しました。（多分探している人もいると思うんでリンクしておきます）コチラ&gt;&gt;http://www.airport-marathon.jp/です!!（2009 萩・石見空港マラソン全国大会実行委員会のサイト）※お昼頃には第2回萩・石見空港マラソン全国大会 順位　タイムとか第2回萩・石見空港マラソン全国大会 順位　結果とgoogleさんで検索すれば知りたい情報にたどり着けやすくなるでしょう（笑））【第2回萩・石見空港マラソン全国大会の結果を見て思ったこと】第2回結果速報はこちら（全種目ＰＤＦ）ＰＤＦＡ４全54ページの大ボリューム！…「第2回萩・石見空港マラソン全国大会Result 競技結果」（でも参加者には嬉しい結果発表の仕方じゃろうナ…順位が全員分もれなくでています。好感！）※Ｔｉｐｓ!!ゼッケンナンバーで素早く（自分の）順位を探せるよ！【やり方】ＰＤＦ画面上のツールバーの「検索窓」にご自分のゼッケンＮｏを入力→「完全一致」に指定し→キーボードのエンターキーを押すと、素早く（ご自身の）成績（順位）が見つかります（あと姓名でも同じ流れで検索できるよ、いろいろやってみてネ）「第2回萩・石見空港マラソン全国大会Result 競技結果」が上記サイトでアップされたのはいつかはわかりませんが、このＰＤＦに関しては10月21日には全部まとめられてたようです…これを「速報」「いち早い記録発表」というかどうかは後世の歴史家の判断にゆだねるとして（笑）…個人的に知りたかったコトがわかって（やっと）スッキリしました（感謝！）なんじゃ、この投稿は「そいうこと、つまりWebアクセシビリティ」のことを言いたいがためのものなんか！と思われたくないので…以下、素直にいつもの調子で、ちょっとカワイらしく（笑）【第2回萩・石見空港マラソン全国大会の結果を見て思ったこと】今回、ワシ益田市太郎は益田市の「益田市営競馬場跡」付近を観戦の拠点としておったのじゃが…結果として気になっとったのが、この大会、とりわけ、日本陸連公認コースのハーフマラソンの結果。さらに、個人的に知りたかったんは…この方！男子ﾊｰﾌﾏﾗｿﾝの部 35歳～50歳未満でのゼッケン５４２のランナー！で、「第2回萩・石見空港マラソン全国大会Result 競技結果」早速調べてみました。やはりこの方が優勝！第一位でした！素晴らしいタイムは1時間12分36秒…広島の方だったんだぁ！なんと！男子ﾊｰﾌﾏﾗｿﾝの部 35歳未満の部よりも早い！（ちなみに35歳未満の1位のタイムは1時間13分15秒）◆アラフォーのワシはこのゼッケン５４２のお方の走る姿（筋肉）とタイムに勇気をもらったぞ感涙！【第2回萩・石見空港マラソン全国大会関連投稿】&gt;&gt;第2回萩・石見空港マラソン全国大会で有森裕子さんを見た！…有森裕子さん！一流の人（結果を出した人）はみるだけでも元気がもらえます！&gt;&gt;「萩・石見空港マラソン全国大会」スナップ（その１）です！！…第2回萩石見空港マラソン本大会前半のハイライトシーン（画像）を掲載しています。&gt;&gt;第2回萩・石見空港マラソン全国大会【その２】＆アン☆ドゥ優勝したゼッケン544の方の筋肉美、美人美脚姉妹アン☆ドゥ（アンドゥ）…ジャンルは違いますが美しいものには感動させる力があります。今回は、第2回萩・石見空港マラソン全国大会のスタート地点でありゴール…つまりメイン会場である益田市の萩石見空港（のタキシングウェイ上）にマップトラバしておきます。（さァ～てと、仕事にもどるべ…）</description>
<link>http://masuda.shimanavi.net/e15370.html</link>
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<category>益田市の明るい話題</category>
<pubDate>Tue, 17 Nov 2009 02:28:29 +0900</pubDate>

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