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益田太郎
益田太郎
25年ぶり故郷島根の益田市
石見益田の風土の魅力を痛感。地元益田市の地味美学の追及をライフワークとする民(間)俗学者
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2009年01月07日

昭和20年 益田市沖に漂着したものとは?

前回の続き。益田市の漂着物エピソード。日本海の対馬海流が10人の命を救ったお話です。

時は昭和20年(1945年)
舞台は益田市の鎌手地区にある大谷海岸。
終戦間近、昭和20年8月14日夜9時頃、高島付近を漂流していたアメリカ兵10人が地元大谷の漁船団に救助されたそうです。




助けられたアメリカ兵はB29爆撃機icon20の乗組員。同年8月8日に長崎県の壱岐島のあたりで墜落icon84したということ。




なんとゴムボートで漂流6日間face08…対馬海流に乗り益田市沖まで流れついたわけです。

長崎県の沖になる壱岐(島)から益田市沖の高島まで、直線距離で約200キロメートル強。6日間ですから対馬海流にのって1日あたり30~40キロメートルをプカプカと益田市沖の高島まで。

下の画像は大谷海岸から見える高島(益田市)




まさに海流のおかげで命を救われた話でしょface17

当時、益田市の大谷はパニック状態になったとも。

しかも、翌日(昭和20年8月15日)正午には昭和天皇による玉音放送というタイミング、超デリケートな時期の出来事です。

でもさすが益田市の人々。多分漂流者アメリカ人10名への対応は「適切」だったのでしょう。

なぜなら、
救助されたマーティン・ザップさんが60年たった平成17年の8月14日に、79歳のおからだでこの地、大谷を訪れたというではないですか(案内板参照)

そして、

「島根県益田市の人ニ救助サレテ ‘マーティン’ラッキーicon85」と。(思ったことでしょうface02…多分)


海流…自然界の活動は今も昔もさほど変わりません。変わったのは…


【しまねっこナビ グランドオープン記念 おまけ画像】
益田市大谷海岸から冬の益田市沿岸と夕日を撮影(撮影日1月6日)




翌日、救助されたマーティン・ザップさん達10名も同じような光景を見たかもしれません。

命を救われた彼ら米兵には当時の益田市の地に「まほろば」を感じたことでしょう。
(おっと!彼らアメリカ人だから「サンクチュアリ(sanctuary)」かな?)

MAP大谷海岸(益田市鎌手地区)


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