2010年01月02日
米原恭庵の「自信」と「勇気」に学ぶ(益田市 染羽天石勝神社)
元旦の昨日、益田市の柿本神社での初詣で、益田市民の行列におどろきつつ、その後、益田市の染羽町にある染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)にも行ってみよう!ということになりました。染羽天石勝神社に初詣に行くのも益田市太郎初の経験です。
で益田市の染羽天石勝神社については後日、改めて詳しくご紹介するとして…この日、染羽天石勝神社にて私は地元 益田市にかかわる偉大な人物を知ることになりました。
その人の名前は「米原恭庵」といいます。皆さんご存知でしたか!?
江戸時代の医師で、嘉永二年(1849年)、彼が二十一歳のときに高角村(現高津町)で流行したという痘瘡(天然痘)に対し(柿の資料から判断して、おそらく日本人として初めて)牛痘を施し、その被害を抑えたという方です。
まずは、社団法人 益田市医師会による米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)です。

米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)
米原恭庵は若くして医学を志し、十七歳で江戸に上り西洋法内外科及び牛痘種法等を修学。二十一歳のとき当時の高角村(現高津町)で痘瘡(天然痘)が流行したため、私財を投じて五百余名の地元民に牛痘を施し、大成功を収めこの災疫から救った。
ジェンナーの種痘法後五十年を経た嘉永二年(1849年)7月17日に、オランダのモーニッケが長崎で日本初の牛痘接種に成功しているが、そのわずか二ヵ月後に僻地に住む恭庵が新しい種痘法を実施したことになる。
益田医師会は、全国に先駆け牛痘接種を断行し、防疫に貢献した米原恭庵翁の功績をたたえ遺徳を敬仰し頌徳碑を建立した。
右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。
社団法人 益田市医師会
(※赤文字強調は益田市太郎による)
ちなみに、「右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。」はこちらです。

私が米原恭庵さんに感じたのは(牛痘接種は)当時の段階ではおそらく「効果がわかかっていても、それ(新しいこと)を実行(行動)するには相当な「自信」と「勇気」があったのだろうな」ということです。
今年の私のテーマの一つになりうそうです。
この元日に益田市の染羽天石勝神社で米原恭庵さんの偉業をしることとなり大変感謝しています
【用語】
頌徳(しょうとく)⇒徳をたたえること。(YAHOO!JAPAN辞書より)
嘉永2年:「嘉永」は江戸時代徳川幕府時代の元号。ちなみにその4年後の嘉永6年(1853年) アメリカの東インド艦隊率いるペリー提督の来航があったといえば時代の雰囲気はお分かり頂けるでしょうか!?
ジェンナーについては以下ご参照
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
(※赤文字強調は益田市太郎による)
本題とはそれますが・・・ピンクの文字のところについてジェンナーといえば小学校のころに読んだ「わが子の腕に…」という超インパクトのあるキャッチコピーによる記憶があったのですが・・・「1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。」という事だったようです。…ジェンナーの業績からして、誰の腕で実験しようと(いい意味で)どうでもイイことなんですけど
【MAP:染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)(益田市染羽町)】
マップトラバもしておきます。
で益田市の染羽天石勝神社については後日、改めて詳しくご紹介するとして…この日、染羽天石勝神社にて私は地元 益田市にかかわる偉大な人物を知ることになりました。
その人の名前は「米原恭庵」といいます。皆さんご存知でしたか!?
江戸時代の医師で、嘉永二年(1849年)、彼が二十一歳のときに高角村(現高津町)で流行したという痘瘡(天然痘)に対し(柿の資料から判断して、おそらく日本人として初めて)牛痘を施し、その被害を抑えたという方です。
まずは、社団法人 益田市医師会による米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)です。
米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)
米原恭庵は若くして医学を志し、十七歳で江戸に上り西洋法内外科及び牛痘種法等を修学。二十一歳のとき当時の高角村(現高津町)で痘瘡(天然痘)が流行したため、私財を投じて五百余名の地元民に牛痘を施し、大成功を収めこの災疫から救った。
ジェンナーの種痘法後五十年を経た嘉永二年(1849年)7月17日に、オランダのモーニッケが長崎で日本初の牛痘接種に成功しているが、そのわずか二ヵ月後に僻地に住む恭庵が新しい種痘法を実施したことになる。
益田医師会は、全国に先駆け牛痘接種を断行し、防疫に貢献した米原恭庵翁の功績をたたえ遺徳を敬仰し頌徳碑を建立した。
右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。
社団法人 益田市医師会
(※赤文字強調は益田市太郎による)
ちなみに、「右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。」はこちらです。
私が米原恭庵さんに感じたのは(牛痘接種は)当時の段階ではおそらく「効果がわかかっていても、それ(新しいこと)を実行(行動)するには相当な「自信」と「勇気」があったのだろうな」ということです。
今年の私のテーマの一つになりうそうです。
この元日に益田市の染羽天石勝神社で米原恭庵さんの偉業をしることとなり大変感謝しています

【用語】
頌徳(しょうとく)⇒徳をたたえること。(YAHOO!JAPAN辞書より)
嘉永2年:「嘉永」は江戸時代徳川幕府時代の元号。ちなみにその4年後の嘉永6年(1853年) アメリカの東インド艦隊率いるペリー提督の来航があったといえば時代の雰囲気はお分かり頂けるでしょうか!?
ジェンナーについては以下ご参照
エドワード・ジェンナー(Edward Jenner、1749年5月17日 - 1823年1月26日)は、イギリスの医学者。天然痘ワクチンを開発したことで知られる。
この時代、イギリスでは天然痘はしばしば流行していた。これに対する予防法としては18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種するという方法がアラブ世界からもたらされたが、この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものであった。
ジェンナーが医師として活動していた頃には、牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった 。天然痘に比べると、牛痘ははるかに安全な病気であった。ジェンナーはこれが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。
1798年、これを発表し、その後、種痘法はヨーロッパ中にひろまり1802年、イギリス議会より賞金が贈られたが医学界はこの名誉をなかなか認めなかった。また一部の町村では、牛痘を接種すると牛になると言われて苦労したが、接種を「神の乗った牛の聖なる液」と説明したと言われる。しかしその後の天然痘の大流行を機にジェンナーの種痘法は急速に普及し、彼は「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。
鳥の習性にも造詣が深く、カッコウの托卵や鳥の渡りを研究した事でも知られている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
(※赤文字強調は益田市太郎による)
本題とはそれますが・・・ピンクの文字のところについてジェンナーといえば小学校のころに読んだ「わが子の腕に…」という超インパクトのあるキャッチコピーによる記憶があったのですが・・・「1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。」という事だったようです。…ジェンナーの業績からして、誰の腕で実験しようと(いい意味で)どうでもイイことなんですけど

【MAP:染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)(益田市染羽町)】
マップトラバもしておきます。
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この記事へのコメント
初めまして
エドワード・ジェンナーの記念碑が、
意外に身近な所にあります。
浜田市の鏡山に建立され、
碑面に『善那先生頌徳碑』と彫られています。
エドワード・ジェンナーの記念碑が、
意外に身近な所にあります。
浜田市の鏡山に建立され、
碑面に『善那先生頌徳碑』と彫られています。
Posted by H. C. Shinopy at 2010年02月12日 23:51
H. C. Shinopy 様
はじめまして!
貴重な情報ありがとうございます。
私もネットで調べてみましたら、
浜田市の鏡山で、
種痘法完成百年を記念して明治33年8月に建立。
ということがわかりました。
ジェンナーの種痘法は医学的には偉大なものだったわけですし「種痘法完成百年を記念」も功績からして当然だと思います。
ただ、なぜこの碑が浜田市で建立されたのか?そこはわかりませんでした。
う~ん、民(間)俗学者好みのテーマをお与えくださいました(笑)
ありがとうございマスダ!
はじめまして!
貴重な情報ありがとうございます。
私もネットで調べてみましたら、
浜田市の鏡山で、
種痘法完成百年を記念して明治33年8月に建立。
ということがわかりました。
ジェンナーの種痘法は医学的には偉大なものだったわけですし「種痘法完成百年を記念」も功績からして当然だと思います。
ただ、なぜこの碑が浜田市で建立されたのか?そこはわかりませんでした。
う~ん、民(間)俗学者好みのテーマをお与えくださいました(笑)
ありがとうございマスダ!
Posted by 益田太郎 at 2010年02月13日 20:28



