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益田太郎
益田太郎
25年ぶり故郷島根の益田市
石見益田の風土の魅力を痛感。地元益田市の地味美学の追及をライフワークとする民(間)俗学者
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・宗像伝奇教授(むなかた・ただくす) ・マスターキートン
石見人
・森 林太郎・秦佐八郎(はた さはちろう)
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2009年10月14日

水分神社のリニューアルと思い出の品々(益田市水分神社)

前回の益田市の「水分神社」が様変わりしたことについてレポートしたのですが。

参照※>>益田市の水分神社リニューアルじゃ!?(益田市水分町)

益田市太郎が少年時代にいろいろとお世話になった「水分神社」…なつかしいものもありました。

今回は益田市の水分神社のリニューアルされた部分と以前の水分神社での思い出について…あくまで私的レベルですけど…。

【拝殿面】灯篭が増えた感じがしますが…懐かしの古風な灯篭も残っていますね!




拝殿の向かって右側(元町側)にはこんな歌の石碑が…



そうそう、水分は「ミクマリ」と読んでいたそうで…語源をもっと深く探ると面白いかも!?

再び正面に戻ると…

なんと!
face08



手水舎(ちょうずや・てみずや)…しかも以前に比べかなりゴージャス!。しかも(当然)水が出る!
(水盤舎(すいばんしゃ)ともいうらしい)

ワシらが子どもの頃は…こんな手水舎じゃなく、(水を貯めてるだけの)水盤そのものだった。…だから、前のそれは、何に使うものなのかまったく分かってなかった。face17

そして(こともあろうに)
我々元町のガキどもは、よく泥だらけの手を洗わさせてもらっておった…つまり単なる水溜めだと思っていた
(今から思うとゾッとするface20(笑))

で、その懐かしのもの(旧手水舎)は…のうなったのか(無くなったのか)とおもい神社の周りを探していると

なんと!…ありました!



本殿わきにおかれていました。旧手水舎
(見てると…なぜか昔の思い出が…いろいろと、思わずジ~ンときたface19ぞ!)

そばに、Oh!稲荷さんが!新規!…平成十一年と…全く知りませんでした。




※何よりうれしかったのは…この木!(超!なつかしい!)
少し枝ぶりは薄くなったが…



元町の昭和40年代の悪ガキどもはこの木の根元の穴ぼこを菓子や遊び道具入れにしておりました。


【水分神社の思い出…もうひとつ】
帰り際に、
(前回もふれましたが)水分神社の鳥居は、こんな風に新しくなったわけですが。



元町側の旧鳥居。確か、島根県中部地震(1978年6月4日だったそうですが)の際に「柱」に縦に数十センチの亀裂がはいり、太い針金をまいて亀裂が広がるのを防ぐという感じで、なんと30年近く持ちこたえていましたface06
(…見るたんびに「意地と根性」を感じた(旧)鳥居じゃった!)

※(この)今はなき「意地と根性を感じた水分神社の旧鳥居」のあった場所をMAPトラバしておきマスダ!

【へんしゅう後記】
今回、予告では(笑)「水分神社とは!?」というテーマのはずだったのですが…文字数が多くてicon102(笑)しばらくお時間を下さいませ!

【おまけ画像】
水分神社からの益田市の水分町、有明町方面の現在の景色です。



画像左側での一番高い山が益田市の
比礼振山(権現山)(標高358.6メートル)

そして中央から右にかけて、お屋敷の瓦屋根の向こうに)
でかい茶色の箱のような物体がface08…島根県芸術文化センター「グラントワ」です!(わかりますか?)

水分神社…周りの木。
大木の本数はかなり減ったような気がしますが、
木の枝が増えて景色・眺望はずっとせまくなりましたね!
あと、「光ファイバーicon12」が水分神社に来ていることも…驚きだ!

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