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益田太郎
益田太郎
25年ぶり故郷島根の益田市
石見益田の風土の魅力を痛感。地元益田市の地味美学の追及をライフワークとする民(間)俗学者
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・宗像伝奇教授(むなかた・ただくす) ・マスターキートン
石見人
・森 林太郎・秦佐八郎(はた さはちろう)
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2009年04月29日

都茂鉱山と比礼振山(権現山)と「大蛇のあと」

益田市美都町の都茂鉱山そして鉱山の神様を祭る神社「佐毘売山神社」。

「佐毘売山神社」は益田市の市街地の東側にある比礼振山(権現山ともいいます、標高358.6メートル)の麓(ふもと)にあるわけですが、 比礼振山(権現山)には都茂鉱山で採掘された鉱石を運搬する道路があったようです。

益田市に、比礼振山(権現山)と都茂鉱山の名前が出る民話に「大蛇のあと」というお話がありました。

「益田の文化を育てる会」さんによる「益田の民話(ますだのみんわ)」
>>http://www.group.iwami.or.jp/bfn/masudanominwa/index.htm

「大蛇のあと」

 むかしの乙子の権現さんの道は、都茂鉱山から鉱石を馬で運ぶ往かん還(ママ)じゃった。

 ある日、益田で用事を済ませた人が、権現さんの道に通りかかると眠むとうなったので、大けな岩の上で一休みしんさった。その時、長さは十二尺(約三、六メートル)、直径は一尺(約三十センチ)ぐらいの大蛇が出てきた。そのあまりの大きさに身震いがして動きがとれんようになった。蛇は煙草が嫌いなのを思い出して、そっと煙草に火をつけ吸いはじめた。そうしよったら大蛇が向きを変えて逃げ去ったというんじゃあ。

 わしも若いころ、わらびを取りに行って、大蛇が這うたように草がなびいているのを見てたまげたことがある。

語り手 城市良吉(乙子)    
「益田の民話(ますだのみんわ)」(益田の文化を育てる会)より引用


「むかしの乙子の権現さんの道は、都茂鉱山から鉱石を馬で運ぶ道路」…

益田市の美都町には銅精錬所跡となる「大年ノ元遺跡(おおとしのもといせき)
(参照>>丸山銅山遺跡とは…(都茂鉱山跡探訪シリーズ第4回)
というものがあったはずで、精錬技術は保有していたはずですが、地元(の精錬所)ではなく一体どこの精錬所に運んでいたのでしょうか?


◎大年ノ元遺跡(おおとしのもといせき)に関しては、島根県埋蔵文化財調査センター編集部による「ドキ土器まいぶん」No.18 2002年7月発行に要点がまとめられた記事がありました。

(島根県埋蔵文化財調査センター「ドキ土器まいぶん」は個人的に、島根県の歴史を深く知るためにも、正確かつ、わかりやすい表記(図や画像が多い)でクールな編集物だと思うぞ!face17

発見!銅の精錬工房?

 美都町は古代から銅山開発によって繁栄したと伝えられています。美都町山本地区にある大年ノ元遺跡では、中世の掘立柱建物跡や中世期には珍しい竪穴状の建物跡が4棟見つかりました。

 竪穴状の建物跡の内部や周辺から焼土(地面が焼けた跡)や銅鉱石を溶かすための器(坩堝)片や銅の精錬工程において生じるからみ(不純物の塊)、白磁(中国製の磁器)片、土師質土器片などが見つかりました。これらの建物跡は15世紀頃(室町時代)の銅の精錬工房跡、または銅精錬に何らかの関わりにある施設と思われます。

 遺跡は、9世紀に書かれた「続日本後記」に記載されている丸山銅山から北約5km のところにあります。 この周辺は当時、中世益田氏の支配下にあり、江戸時代には幕府の直轄領でもありました。銅山の歴史、銅の精錬技術などを知る重要な手がかりになりそうです
(「ドキ土器まいぶん No.18 2002年7月発行 編集・発行 島根県埋蔵文化財調査センター編集部」より引用)



想像を膨らませると…他に、もっと大規模な精錬所があった…また、もしかしたら「銀」鉱石があったのかもしれませんね!?(当時は銀の製錬技術はなかったはず)…

(というかこの益田市の民話がいつごろの話なのかは不明なんであんまり奇想天外な空想はできんしface20

(う~ん…これはきちんと調べる必要があるなface17
あと「権現さんの道に通りかかると眠むとうなったので、大けな「岩」」…この「岩」もきになるのう)

益田市の佐毘売山神社(今年2009年の正月に撮影)




比礼振山(権現山…ごんげんさん)標高358.6メートル)の山頂にある蔵王権現(昨年2008年年末ごろ撮影)





【益田市と「大蛇」】

ところで、

益田市で大蛇といえば、益田市の(プチ)秘境 シリーズで真砂地区の日晩山の山麓にある滝…「蛇瀧伝説」をとりあげたことがあります。

詳しくは>>蛇瀧探検(益田市真砂地区)2009年03月23日

★益田太郎が選ぶ益田市の(プチ)秘境シリーズ>>益田市の(プチ)秘境 シリーズ一覧

【へんしゅう後記】
今回引用させていただいた「益田の民話(ますだのみんわ)」では、キーワード「大蛇」のお話が二つ
「蟠竜湖の大蛇」
「蟠竜湖に浮かんだ大蛇と箸」
どちらも益田市の「蟠竜湖」が絡んでいる所がおもしろいのう。  

2009年04月24日

益田市の佐毘売山神社と世界遺産「石見銀山」との関係

益田市美都町山本の都茂鉱山跡探訪シリーズとして4回にわたり投稿してきました。
(中身はあまり濃くなかったので今後徐々に追記していきますが…)

今回は前回の>>丸山銅山遺跡とは…(都茂鉱山跡探訪シリーズ第4回)でふれました山陰中央新報さんのONLINE NEWS、

特集・石見銀山 : 石見銀山の営み(4)地の恵み 都茂銅山の技術者採掘か…の記事にでていました

益田市の「佐毘売山神社」をご紹介します。

益田市の「佐毘売山神社」は市街地の東側にある比礼振山(権現山ともいいます、標高358.6メートル)の麓(ふもと)にあります。 
比礼振山(権現山)の姿は>>比礼振山(権現山)から益田市を俯瞰すると(2009年1月09日投稿)





頂上へ向かう道路によって分断されていますが、本来の佐毘売山神社の参道にあたる「古い石段」をいれて撮影。





私は、この石段がお気に入りです。

さて、注目の記事

>>「佐毘売山神社を分霊 益田から祭神と移動」(2008年6月22日)

で、「益田市の同神社から分霊されたこと」について、根県文化財保護審議委員で、広島県三次市にある奥田元宋・小由女美術館で益田市出身の村上勇館長によると、


 「祭神の移動は祭っていた技術者の動きを示す。石見銀山開発の前史として、西石見の都茂銅山の開発があり、人と技術が大森にもたらされ銀が採掘された」と指摘。石見国を包括した研究の視点を提起する。


と、

つまり、美都町の丸山銅山での人と技術が大森(石見銀山)にもたらされ銀が採掘された…という見解なんですね!

(大森の)鉱山開発のために人材(鉱山技術者)とそのノウハウと金山彦命…鉱山の神さんがセット移動(異動)です!
当時の鉱山開発ということがいかに重要で気合いが入っていたかがわかりますネface17

この件について、当の益田市の佐毘売山神社にも説明がありました。

佐毘売山神社由緒




良く読んでいただけるように、2つの画像に分けてました。

①前半部分




②後半部分




②の後半部分に

「康暦2年(1380年)には迩摩郡大森銀山へ守護神として、金山彦命を当社より御幣を別けて遷し祭るなり。」
と記されていますねface17

(話はそれるが、埴山姫命(はにやまひめのみこと)は「土」の神。埴山姫命は島根県大田市長久町の「迩幣姫神社」神社がありますよね。6年ぐらい前に訪ねたことが…当時は益田市の佐毘売山神社に埴山姫命が祭ってあるとはつゆ知らず…)


ついでに発見報告!face01
なんと!いつもお世話になっている、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にも益田市の佐毘売山神社が掲載されていました。

佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)は、島根県益田市にある神社である。式内社で、旧社格は村社。石見銀山(大田市)にある佐毘売山神社は当社の分社である。
【祭神 】
金山彦命・金山姫命を主祭神とし、埴山姫命・大山祇命・木花咲耶姫命を相殿に、闇靇神・廣國押武金日天皇(安閑天皇)を別殿に祀る。

【歴史 】
創建の由緒は不詳である。当初は比礼振山(佐毘売山)の山頂に鎮座し、金山姫・埴山姫・木花咲耶姫の三柱の女神を祀り「姫山神社」と称していた。「佐毘売山」は姫山に接頭語「さ」がついたものである。寛平5年(893年)、美濃国南宮大社より鉱山の神・金山彦命を勧請し、さらに山の神・大山祇命も祀って「五社大権現」とも称した。延喜式神名帳に「石見国美濃郡 佐毘賣山神社」と記載され、小社に列している。
貞治4年(1365年)、一帯に旱魃が起こり、比礼振山で雨乞いをしたところ雨が降ったことから、大和国吉野山から水の神・闇靇神と蔵王権現を合祀し、以降は「蔵王大権現」とも称されるようになった。
(以下略)

(【】づけ、赤字強調は益田市太郎による。)

【へんしゅう後記というか、補足】
石見銀山の佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)にも上記の由緒についての説明看板がありました。昨年、世界遺産になって初めて石見銀山を訪ねましたが、大久保間歩ツワーに急きょ参加したので石見銀山の佐毘売山神社へは行けなかった…ちなみに6年前に石見銀山の佐毘売山神社に行ったときは…その規模のでかさ…すげー!face08と驚いた…と同時に管理状態の「悪さ」にも驚いた!

…来月は石見銀山に行けると思うので、世界遺産バージョンでの佐毘売山神社を訪ねたいと思っとりマスダ!face17  

2009年01月09日

比礼振山(権現山)から益田市を俯瞰すると

益田市の市街地の東側にある比礼振山(標高358.6メートル)
新年には必ずこの山の中腹にある佐毘賣山神社にお参りして、雪がなければ山頂へ。今年の元旦には雪がありそうだったので、ちょっとずらして1月4日に登りました(といっても車でです)



中央の小高くちょっと富士山のような形(コニーデ風)の山が益田市の比礼振山です。(撮影は2008年12月30日)
付近に高い山がなく、益田市の市街地からでは中国山地の大御所的山々も見えません。ですからパッと見は随分高い山に見えます。(標高358.6メートル…東京タワーが全高333メートルですからそれより少し高い程度ですね。)

頂上では、益田市市街地が一望できます。(撮影は今年、2009年1月4日)



画像中央部左やや上部、山が削られたようなところが萩石見空港です。

ここから益田市を俯瞰(ふかん)していると…かつてのことを思い出します。face17

「あっ、あそこに低密度住宅地を」「この辺は中密度商用地になるな…」
「海の近く…ここには火力発電所を、あちゃ!こりゃ風力じゃ…間違えちゃった…まっいいかicon55」で、ポツリと…って。

10年前に益田太郎がはまった大ヒットPCゲーム、マクシス社のシムシティ (SimCity) のことです。face21

シムシティ (SimCity) 益田市バージョン、作りたくなります。ここに来ると…いつもface02

MAP:比礼振山(益田市乙子)

益田市の比礼振山は頂上まで車であがれます。ただし途中数か所、ヘアピンぎみの厳しいコーナーがあります。道幅も3メートル程度、対向車すれ違いの場合は、譲り合いの気持ちで…。慎重にゆっくり運転で登りましょう。

頂上には蔵王権現様も待っておられるわけですから…




山頂へ向かう道路、路肩の整備(道路維持)がいつ行ってもきちんとされていて、本当にありがたく感じております。(感謝!)