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益田太郎
益田太郎
25年ぶり故郷島根の益田市
石見益田の風土の魅力を痛感。地元益田市の地味美学の追及をライフワークとする民(間)俗学者
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・宗像伝奇教授(むなかた・ただくす) ・マスターキートン
石見人
・森 林太郎・秦佐八郎(はた さはちろう)
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2009年05月14日

探訪丸山銅山跡 旧安養寺の歴史について

前回、丸山銅山の発見者は誰?ということで、山烏行淵さんを取り上げました。

今回は前回の続き、益田市美都町の丸山銅山跡で発見した旧安養寺跡…旧安養寺についてです。

旧安養寺は、実は、もともと益田市の遠田地区(上遠田)にあったようです。


益田市誌(昭和50年12月20日発行)の上巻の320~321ページによると

安養寺の移転
丸山に移住した寔護は、郷里の菩提寺である安養寺が、遠くて参詣に不便であること、また同寺を繁栄させたいとの理由から、元慶元年(877年)山烏行淵に託して、同寺を上遠田から丸山へ移した。

当初は正福寺と寺名を改め、真言宗の末寺となった。そして行淵を住僧とし、寔護自身は大檀那となって保護を加えた。そこで行淵は鉱務を子の尚峯に譲り、寺の興隆に努めさせた。

正福寺は後年、元の安養寺に改められた。(中略)今日上遠田にある安養寺の地名を残すところがその址である。丸山大金に移転後の安養寺は、行淵の後、朝旨を受けて鉱務を掌った山烏尚峯が、住僧として後を継いだ。

益田市誌(昭和50年12月20日発行)上巻
第四章 平安時代 第二節 坂ノ上寔護と都茂丸山銅山
二 坂ノ上寔護の丸山赴任 安養寺の移転より引用

旧安養寺跡の画像です。




その他の旧安養寺跡の画像は以下の2つの投稿をご参照ください。
>>丸山銅山跡をめざして(旧安養寺跡)2009年05月06日
>>丸山銅山跡と旧安養寺跡、そして山烏行淵2009年05月09日

MAP:Yahoo!の地図で益田市の上遠田という地名を探しました】
  

2009年05月09日

丸山銅山跡と旧安養寺跡、そして山烏行淵

前回の益田市美都町の丸山銅山跡への探検で「旧安養寺跡」を発見(ただたどり着いただけですが)

丸山銅山跡入口から篠竹の薮、ぬかるんだ山道を歩くこと約7~8分。いきなり、かなり古いけど立派な石垣を発見しました。
>>丸山銅山跡をめざして(旧安養寺跡)2009年05月06日

下の画像をみてもお分かりのように、まるでジャングルの中の古代文明の遺跡のようで…丸山銅山跡にしても旧安養寺にしてもまだ画像等、益田市関連サイトでは公開されいないようです(多分ネ…)

だから、初めて目にしたときはマジで驚きました。(つーか、ネット上ではまたまた世界初公開かもface17…あの「能登の大竜頭」に続いて2回目!?)

さて!そもそも(これまで何度か記述させていただきましたが)この丸山銅山が発見されたのは881年。それは『日本三代実録』元慶五年(881)三月七日乙卯条に記述されているということでした。

ならば!この丸山銅山は一体誰が発見したのか?そしてこの旧安養寺が建てられた経緯は?

という疑問が湧く益田市の歴史愛好家も多くいるのではないかと思いますface17





前回の「丸山銅山跡をめざして(旧安養寺跡)」のへんしゅう後記にも書いておきましたが、

実は、丸山銅山に関する2つの疑問の答えが、我らが益田市誌にあったのです。

益田市誌(昭和50年12月20日発行)の上巻の319ページ
第四章 平安時代 
第二節 坂ノ上寔護と都茂丸山銅山
より
一 都茂銅山の発見

に丸山銅山の発見と旧安養寺が建てられた経緯の記述がありました。

まず…①丸山銅山は誰が最初に発見したのか?についてですが、上記益田市誌によると、

旧記から考えてみると、この銅山の最初の発見者は、隋の煬帝(ようだい)の末裔、散位永岑の弟に当たる山烏行淵であった。彼は僧空海の弟子で、諸国遍歴の途上に石見を行脚し、丸山の地に銅鉱を発見したのである。これを兄永岑を通じ、朝廷に奏上した。
そして真髪部安雄が石見に赴く際、行淵は鉱務を掌るよう命じられた。
(益田市誌 上巻 319~320ページ)
※太字、赤字強調は益田市太郎による。

山烏行淵という人物が発見者であるようです。それにしてもこの山烏行淵という人物、隋の煬帝の末裔…空海のお弟子さん…ビッグキーワードが絡んで…なかなか凄僧face17

それに、どこの古の鉱山たるもの…最初の発見はどんなプロセスがあるのか?(←これってものすごく不思議なんじゃが)

わし(益田市太郎説)が思うに、高津川をのぼり、匹見川に入り…そして能登川を登る……キーになる指標植物は(そう!)ヤマブキの花。ヤマブキの花をつたってface17(まあこの説については後日あらためて)…実際匹見川から能登川にかけてはヤマブキがわんさか咲いておるんですョface17
(ついでに…金属鉱床を探す指標植物で有名なのは金山草(かなやまそう)がありますぞ。)

②旧「安養寺」について
安養寺については益田市誌 上巻 320ページに「安養寺の移転」で記述されていました。

この旧安養寺については次回に…

【へんしゅう後記】
古(いにしえ)の人たちが、どうやって鉱山を発見したのか?これは大変興味深いテーマなんじゃが…そのノウハウの一つjには、特異な植物の分布がシグナル(目印)になることは周知のことです。もっとこのあたりの専門書を探していきたいと思います。(いい趣味じゃとわれながら思う)

また、丸山銅山を最初に発見した人物山烏行淵さんにも興味がわいた(…というか、師である空海さんも含め)仏教以外にも、いろいろな(当時)最新技術、ノウハウをもっておったんじゃろう。山師(鉱山技術者)という側面もあり、土木技術者としても…実に興味深い!
それにしても益田市(島根県の石見地方の歴史は思ったより深いし濃いぞ!…若干あせってきたシface20)  

2009年05月06日

丸山銅山跡をめざして(旧安養寺跡)

益田市の佐毘売山神社から「康暦2年(1380年)には迩摩郡大森銀山へ守護神として、金山彦命を当社より御幣を別けて遷し祭るなり」という史実のタイミングが島根県の世界遺産である石見銀山遺跡の歴史上どのような状況であったのかを調べてみました。

特に当時の石見銀山の銀の産出の状況を(銀の)精錬技術の歴史的推移という視点での仮説も試みてみました

>>益田市の佐毘売山神社と世界遺産「石見銀山」との関係2009年04月24日

>>石見銀山の銀の精錬の歴史を探る2009年05月01日

>>灰吹法導入以前の石見銀山の銀製錬は!?2009年05月04日

さて!今回は久しぶりに地元益田市ネタ、しかも益田市でのフィールドワーク(…ちなみに実施したのはこのゴールデン・ウィークより前なのですが)

2009年04月23日に投稿しました
>>丸山銅山跡とは…(都茂鉱山跡探訪シリーズ第4回)(益田市美都町)(このときは、恥ずかしながら途中断念しましたface20


益田市美都町の丸山銅山跡への探検の続編です。(本当は今年の秋か冬を予定していたのですが)
やはり石見地方、特に地元益田市の忘れられた貴重な歴史の価値とそれを愛する数少ない益田市と全世界の歴史愛好家のために(笑)一念発起して、丸山銅山跡の探索に本格挑戦しました!

そして、進展!石による構築物を発見しました!





上記画像についての説明の前に(この現場までのお話を若干…face17
今回は、一応「草刈り鎌」も持参して、丸山銅山跡の杭看板より潜入を開始しました。



前回断念した不気味な倒木をのりこえ…




地図にも載っていないし、案内図(資料)もない…だから、ゴールである「丸山銅山跡」がどんな状態であるかわからない。その上とにかく、ぬかるみで足もとも悪く、おまけに道のほとんどは篠竹が覆いかぶさり前方がよく見えない…本当に探検している気分、しかも今回は一人…ハミ(蝮)も心配…要するに無謀なんですねface17

が、しかし!10分も進んでいくとこんな光景がface08
相当古いですが、見事な石垣です。



よくみると、



旧安養寺跡」と!face08安養寺といえば…益田市美都町山本地区でしだれ桜で有名なお寺…もともとここにあったのか…

石垣からは太い木がニョキっとはえとる…




津和野の城跡でも似た光景をみたんじゃが・・・このままでは、益田市の歴史上、否!日本の歴史上貴重な財産である「旧安養寺」の石垣は間違いなく崩壊するゾ!face19

という光景で今回のフィールドワークは終了…またしてもビビッて…つーか、このワシでもさすがに寂しくなった(笑)。
次回はさらに深く潜入しマスダ!face20


【へんしゅう後記】
益田市美都町の丸山銅山が発見されたのは881年ということは以前も報告しましたが…『日本三代実録』元慶五年(881)三月七日乙卯条による。…でしたが、丸山銅山の歴史につては、なんと益田市誌に掲載されていましたface08

次回は、益田市誌での丸山銅山の記述をもとにもう少し詳しい情報を益田市民に向けてご提供させていただきマスダ!
  

2009年04月23日

丸山銅山跡とは…(都茂鉱山跡探訪シリーズ第4回)

益田市美都町山本の都茂鉱山跡探訪シリーズの第4回目。
今日は、前回の丸山坑入口を後にして、「丸山銅山遺跡」へ向かいました。

場所は県道172号線をのぼり野々峠を超え、県道314号線を少し下ったところにあります。

目印は、「丸山銅山跡入口」と書かれた杭(くい)看板。



丸山銅山跡…注意してもらいたいのは丸山山遺跡… 「銅」 というところ。

発見されたのは881年ということです…『日本三代実録』元慶五年(881)三月七日乙卯条
詳しくは…>>探訪「都茂鉱山跡」…丸山坑入口付近2009年04月22日←この記事の後半にまとめて記しておりますface17

実は丸山銅山はあの世界遺産の「石見銀山」(島根県大田市)と歴史的に関係があるようですface17

山陰中央新報さんのONLINE NEWS(>>http://www.sanin-chuo.co.jp/)での特集記事に

特集・石見銀山 : 石見銀山の営み(4)地の恵み 都茂銅山の技術者採掘か
佐毘売山神社を分霊 益田から祭神と移動 (2008年6月22日)
>>http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=504046180

という興味深い記事がありました。(コンパクトに且つわかりやすく書かれていますね…さすがじゃ!)

島根県の大田市の石見銀山と益田市の都茂銅山(あわせて、益田市の比礼振山(ひれふりやま)(権現山(ごんげんやま)ともいう)の麓にある佐昆賣山神社)との繋がりについては後日特集しますネ。

参考:益田市の比礼振山の「外観」はこちら>>比礼振山(権現山)から益田市を俯瞰すると 2009年1月09日

後日(いつか)特集するとして。

また益田市美都町には銅精錬所跡となる「大年ノ元遺跡」というものがあるそうです。
「webさんいん」さんのサイトにあった山陰中央新報さんの記事
>>美都で銅精錬工房跡 大年ノ元遺跡 炉壁片や滓出土 中世の鉱山都市の可能性 (2002年5月23日(木))

(上記記事によると「大年ノ元遺跡」は全国的にも珍しく、貴重な遺跡だということです。)


さあ、いよいよ(「都茂銅山」と記されていますが、おそらく同じ場所をさしていると思いますので)丸山銅山跡へ!

と思って進んでいたのですが!?…こんな状態でしたface08



こりゃ、鉈鎌(ナタガマ)がいるな…

というわけで今回は断念しました。(すみません)、まっ予備知識なさすぎたんでface20
…次回に期待してくださいネ(画像は)

あと、この九州大学総合研究博物館のこの論文(PDF)は凄い!
>>蛍光X線分析法の製錬津試料への適用(中西 哲也、吉川 竜太、井澤 英二)
九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No. 2, 149-156, 2004
上記論文は
九州大学地球上源システム工学部門に設置されている蛍光X線分析装置を使用して、銅鉱石・銅製錬津の分析に適用した際の技術的なポイントについて報告する。

ということが主たる論旨にあたります。
※そして、その適用分析例として山口県の長登銅山と島根県益田市美都町の「都茂丸山銅山」の鉱石・製錬津・炉壁試料に関して紹介されています。


あっ、ちなみに…この「丸山銅山跡入口」から県道314号線をしばらく下って行くと…

あの!「能登の大竜頭」があるんですface17

※参照>>世界初公開 「能登の大竜頭」(益田市能登川)2009年04月06日

【へんしゅう後記】
つ、ついに益田市の高津に関する超貴重な文献「高津町誌」の復刻版が近々販売されるようですね!
あと、美都町誌が欲しいのう…誰か安う譲ってくれんかの~face17  

2009年04月22日

探訪「都茂鉱山跡」…丸山坑入口付近

益田市の秘境というか、益田市の産業遺産といえる、美都町の都茂(つも)鉱山跡探訪の3回目
今回はいよいよ「丸山坑」の入口まで…(当然中には入れませんから…ネ!)

県172道号線…都茂鉱山選鉱場が左手に見えるところからさらに1km強、上り坂の道路を行くと手書きの看板がありました。



左の未舗装道路(車は入れません)をいくと有名な「丸山坑」入口に
(ちなみに匹見町方面の方向へ行くと「野々峠」となります…峠を越えると県道314号線に変わります(地図ではネ)このコースは益田市のいろいろな山道の中でも特に、珍しい植物を発見することができるんですよ!)

さて、周囲を見回してみると…

こんなコンベア系の設備の残骸




そして、上から見ると構造がわかります。んッ…ベルトコンベアではないんだぁ。




そして、進むこと数百メートル
丸山坑の入口です。




ここから、あの銅と亜鉛の鉱石やあの都茂鉱(tsumoite:BiTe組成 (ビスマス原子とテルル原子の比が1:1の鉱物))がわんさか出てきたんじゃろうか!?
参照>>都茂鉱山跡 ズリの中から都茂鉱(tsumoite)が!?(益田市美都町山本)2009年04月21日

倉庫?らしき構築物の中には…



奥には、チョーでかいモートルの残骸(青色)がface08(やはりかつては凄い鉱山施設だったのでしょう)
繁栄時の喧噪がちょっと聞こえてきました(ような)face17

都茂鉱山跡は益田市の産業遺産といっていいんじゃないでしょうか?

あっ、あと、都茂鉱山の「岩石採取標識」を発見しました。(沢に向かって落ちていましたface19




手書きの標識…美濃郡…採掘の方法:階段採掘法…等々、歴史的価値はいずれ出てくると思うんですがねface18

さて、話はかわって都茂鉱山に関する歴史関連について。
今回のシリーズ初回>>都茂鉱山跡、都茂鉱(tsumoite)を訪ねて(2009年04月20日)でも触れましたが、実は丸山「鉱床」は平安時代にはすでに採掘が始まっていたといいます。

で、その、おおもとになる文献とは?という疑問を持たれた知的な益田市民のために(笑)

昨夜、ネットで深く深く…調べてみましたところ。

「『※日本三代実録』元慶五年(881)三月七日乙卯条」であるということがわかりました。

出処は、(なんと)

IMES…日本銀行金融研究所における論文(ディスカッション・ペーパー・シリーズ)です。

IMES Discussion Paper Series 2002-J-30

「古代銭貨に関する理化学的研究」「皇朝十二銭」の鉛同位体比分析および金属組成分析(PDF)
>>http://www.imes.boj.or.jp/japanese/jdps/2002/02-J-30.pdf  齋藤努・高橋照彦・西川裕一

の19ページ

いや~ッ!ディープWebにはやはり我々の財産になる情報があるというのは本当だったんだな~face17

地味に感動!した。

参考:日本三代実録
日本三代実録(にほんさんだいじつろく)は、平安時代の日本で編纂された歴史書で、901年に成立。六国史の第六にあたる。

清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の三代、天安2年(858年)8月から仁和3年(887年)8月までの30年間を扱う。編者は藤原時平、菅原道真、大蔵善行、三統理平。編年体、漢文、全50巻。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用  

2009年04月21日

都茂鉱山跡 ズリの中から都茂鉱(tsumoite)が!?

昨日に引き続き、今日は益田市美都町の都茂(つも)鉱山跡の話題。
昨日が都茂(つも)鉱山跡の現在の景観だったのに対し、スーパーマクロな世界へ!

<鉱物の世界へようこそ!>



(これは石英の小さな結晶の森(同鉱山跡で見つけました)…小さい結晶の集まり…都茂鉱ではないよface18…都茂鉱はこの結晶の森の中にポツンとあるそうなんだ!)
(余談:先日NHKのワンダー×ワンダーですごい結晶洞窟の番組をやっていましたがあの超巨大な結晶は「石膏(硫酸カルシウム:CaSO4)」によるものでしたネ…これは↑は石英です。)

では、まず都茂鉱tsumoiteBiTe組成 (ビスマス原子とテルル原子の比が1:1の鉱物))について…face17

私、鉱物については専門家ではないのでまずは都茂鉱(tsumoite)に関する学術的にまとまっていると思われるサイトを引用させていただきます。島崎さんという方が研究をされたようです。

都茂鉱 :Tsumoite
原産地 :島根県美濃郡美都町都茂鉱山
理想化学式: BiTe
分類 :硫化鉱物(テルル化鉱物)
結晶系:六方晶系
島崎は卒業論文で研究した都茂鉱山の鉱石から、BiTeという化学組成を持つ銀白色の金属光沢の鉱物を発見した。BiTe、つまり、ビスマス1元素とテルル1元素が結合したビスマスのテルル化物としてはすでにヴェーライト(wehrlite)が知られていたが、都茂鉱山から発見されたBiTe 鉱物はヴェーライトとは異なる諸性質をもっていた。(中略)

 都茂鉱山から発見されたBiTe鉱物は都茂鉱(tsumoite)として国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物名委員会によって承認され、ヴェーライトは2種類の鉱物の混合物を誤認したものとして同委員会によって抹消された。都茂鉱の名は産地の鉱山名にちなみ、島根県で発見された最初の新鉱物となった。

出処:論文著者 島崎英彦・小澤徹 掲載論文 American Mineralogist, 63, 1162-1165, (1978).

引用元>>日本産新鉱物⇒都茂鉱 http://www2.ocn.ne.jp/~miyajima/newmineral/tsumoite.html

で!
 (いよいよ)益田市美都町の都茂鉱山跡のズリで発見した都茂鉱(tsumoite)…らしき画像です!




イブシ銀の部分がそうだと思います。




実は!最初は「銀(Ag)」だと思っていました。また周辺の紅色とか(ここにはないですが)緑色などもレアメタル、重金属の雰囲気が…

都茂鉱(Tsumoite)の画像はコチラも参照してください(これらの画像を見て…判断しちゃいました)
>>Weblio 辞書⇒鉱物図鑑⇒索引 ランキング 画像一覧⇒都茂鉱(Tsumoite)

>>稀産金属鉱物-標本リスト [レアメタル・コレクション]⇒都茂鉱

【補足…自分なりに知りたかったのでface17

Q.レアメタル…ビスマス(Bi)とテルル(Te)の用途は?
ビスマスもテルルも単体では…ビスマスが「医薬品(整腸剤)」等、テルルは「ガラスなどの着色剤」ですが、特にテルルは、先端工業に欠かせない存在となっています。…よしface17

【参照】
ビスマス(Bi)
医薬品(整腸剤)の原料として、日本薬局方に収載されている。

単体のビスマスと他の金属(カドミウム、錫、鉛、インジウムなど)との合金は、それぞれの金属単体より低い融点となる。このため、鉛フリーはんだに添加されたり、あるいはより低温で溶ける低融点合金に使われる。また、ビスマスは大きな熱電効果を示す物質であり、特にテルルとの合金は熱電変換素子として実用化されている。

化合物としては、銅酸化物高温超伝導体の1成分としても用いられ、ビスマスを含む超電導物質はしばしばビスマス系高温超電導物質または単にビスマス系と呼ばれる。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

テルル(Te)
ガラスなどの着色剤として利用される。
ビスマスとの合金は、熱電変換素子として実用化されている。
用途が狭く、偏在性が高く、需要量・埋蔵量ともに少ないが、先端工業に欠かせない存在であり、レアメタルの一種である。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

【へんしゅう後記】
鉱物の世界はいいのう!


  

2009年04月20日

都茂鉱山跡、都茂鉱(tsumoite)を訪ねて

益田市の美都町山本周辺を車で散策、その目的地の一つに都茂鉱山(つも鉱山)跡(1987年6月に閉山)がありました。

都茂鉱山の近代~現代にかけての歴史はYahoo百科事典によると、「中外鉱業(株)によって操業されてきたが、79年以降都茂鉱業(株)の経営にかわった。87年都茂鉱業が操業休止。88年閉山」という経緯があったようです。

また都茂鉱山では都茂鉱(tsumoite)icon12というビスマス(Bi)とテルル(Te)から成る独特の鉱物が世界で初めて発見されたところといいます。また、島根県を代表するスカルン鉱床ページ下の方に用語説明あり)であるといいます。
最盛期の1970年ごろには、銅と亜鉛の鉱石を日量600トンも処理していたということです。

都茂鉱(tsumoite)の特殊性については後日あらためて投稿させていただくとして…

私が関心があったのはこの鉱山の歴史です。なんと丸山鉱床平安時代の836年にはすでに採掘が始まっていたということ。(この益田市で平安時代には採掘がされていた鉱山があるなんてface08

島根地質百選選定委員会による「山陰・島根ジオサイト 地質百選」
都茂鉱山(益田市美都町山本)より
丸山鉱床は平安時代の836年にはすでに採掘が始まっていたことが史料からわかっています。
江戸時代には、天領として大森(石見銀山)に置かれた代官所の支配下にあり、1842年からは浜田藩が支配しました。

詳しくは…
都茂鉱山(益田市美都町山本)
>>http://www.geo.riko.shimane-u.ac.jp/geopark/tsumokozan.html

出典サイト:島根地質百選選定委員会による「山陰・島根ジオサイト 地質百選」
>>http://www.geo.riko.shimane-u.ac.jp/geopark/geosite.html#concept
というサイトに掲載されています。

(今回は)都茂鉱山(益田市美都町山本)の概観画像を…たんたんと…県道172号線を野々峠に向かって登っていきます。
まずは、旧鉱山事務所入り口(※画像中の未舗装道は行きどまりです)



都茂鉱山選鉱場跡と「案内杭」(美都町教育委員会による)



ちょっとわかりずらいですが…都茂鉱山選鉱場…かなりデカいです。



こちらのサイト(サイト名不明、各地の鉱山跡の画像集)では(都茂鉱山)選鉱場を別アングル(おそらく鉱山敷地内から)撮影した画像がありました>>http://kodansha.cplaza.ne.jp/hot/kobayashi/cs/content/04.html


採掘された鉱物を移送させたと思われるコンベア施設の残骸



このコンベア(らしきもの)、以前はこの県道をまたぐ形で反対側の斜面にも続いていたようです。(道の反対側の斜面(法面)の雑木林の中に、コンベアの残骸が残っていました。)

現地は大変静か…そこに、巨大な鉱山施設の跡が…最盛期を知る父によると、ここ都茂鉱山には、当時、国内の優秀な鉱山技術者がたくさんいて、ここ、美都町の「葛篭(つづら)」というところは鉱山町としての(鉱山宿舎や小学校(分校)もあったくらい)人口も多かったそうです。(つづく…あと2~3回ぐらい)

※実は!今や幻の都茂鉱(tsumoite)(ビスマスとテルルから成る鉱物)は「ズリ」を丹念に探して…見つけましたゾ!(お楽しみに!)

【MAP:旧都茂鉱山事務所入り口付近…ここから172号線を野々峠に向かって登っていく道なりの画像を投稿しています】


【用語:スカルン鉱床】
スカルン鉱床(すかるんこうしょう、skarn deposit)とは、熱水鉱床の一種である。石灰岩などの大規模な炭酸塩岩帯に花崗岩が貫入した際に伴う熱水により、交代作用が生じ形成される。形成温度が低いため、鉄や銅をはじめ亜鉛や鉛など工業用途として有用な金属を大量に含む鉱石が産することで知られる。
( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)


【へんしゅう後記】

今回、益田市美都町の都茂鉱山を調べるにあたり、島根地質百選選定委員会による「山陰・島根ジオサイト 地質百選」という大変興味深いサイトを発見することができました。コンパクトに要点がまとめられていて、画像等…リッチコンテンツなサイトです。face17
特に、今回投稿の17. 都茂鉱山(益田市美都町山本)以降、

18. 裏匹見峡・渓谷と断層谷(益田市匹見町匹見~道川)
19. 青野火山群(津和野町笹山ほか)
20. 木部谷温泉の間歇泉(吉賀町柿木村木部谷)
21. 高津川源流(吉賀町田野原)

なんと!全部(場所)現地把握できているではないか…(これは新カテゴリー誕生か?face17)