2009年01月21日
アロエ考 益田市の、とある浜にて地味に学ぶ
先日、益田市のとある浜(大谷海岸)で発見しました。アロエが花を咲かせていました。
アロエの花って、地味ですがエネルギッシュなものを感じます。益田太郎の「好み」であります。

逆光だったので(もう一枚(笑))

アロエは一般的には冬の時期に咲くのですね(家に帰ってから調べました)
実は…私最初はここで…はて!?このような南国系の植物「あ・ろ・え」…なぜに益田市では今頃…やはり対馬海流(暖流)の影響?…奇跡!…それとも…益田市もいよいよ温暖化?…石見も異常気象…ってマジで不思議に感じました。
(ひょっとしてスクープ画像!?…という淡い期待もありました
)
なぜなら、益田市の我が家のアロエは梅雨の時期に咲いたので…
(で、これも後で調べてわかったのですが)我が家のアロエは「不夜城」という品種で、開花時期が、一般のアロエとは異なるということでした。(異常だったには私の常識の方でした
)
私の体験に基づく「常識」なんて、いかに頼りないかということを教えてもらいました。大谷海岸のアロエ公に。
帰りにとある広場で車を回そうとしていたときに…もう一つ学びました。

ソテツのまえに誰かが柵を…まるでバリケードです(笑)…ソテツ「君」と呼びたくなるような…人格を感じました。
益田市の、とあるお方の生き物に対する「慈しみ」を感じ、感動しました
…地味に保護策が
に見えます(トランスすれば…
)
この日の益田市の夕方の風景です。(いつも夕日ばかりでスミマセン)

画面中央から右奥に見える富士山のようなシルエットの山が昨日(ちょこっと)話題にした、須佐町の高山(山口県萩市須佐町)です。標高は532メートルですが、海からいきなり500メートルですから、その姿は目立ちます。この高山は古代から中世にかけては天然のビーコンだったと私は思っております。
【へんしゅう後記】
実は…
今日、しまねっこナビの人気ブロガーの一人「dさん」のおかげでテキーラの原料であるリュウゼツランの実体を知ることができました。
それと同時に、この体験を思い出したのでアップしました。(確か今年の1月7日のことです)(笑)
アロエの花って、地味ですがエネルギッシュなものを感じます。益田太郎の「好み」であります。
逆光だったので(もう一枚(笑))
アロエは一般的には冬の時期に咲くのですね(家に帰ってから調べました)
実は…私最初はここで…はて!?このような南国系の植物「あ・ろ・え」…なぜに益田市では今頃…やはり対馬海流(暖流)の影響?…奇跡!…それとも…益田市もいよいよ温暖化?…石見も異常気象…ってマジで不思議に感じました。
(ひょっとしてスクープ画像!?…という淡い期待もありました
)なぜなら、益田市の我が家のアロエは梅雨の時期に咲いたので…
(で、これも後で調べてわかったのですが)我が家のアロエは「不夜城」という品種で、開花時期が、一般のアロエとは異なるということでした。(異常だったには私の常識の方でした
)私の体験に基づく「常識」なんて、いかに頼りないかということを教えてもらいました。大谷海岸のアロエ公に。
帰りにとある広場で車を回そうとしていたときに…もう一つ学びました。
ソテツのまえに誰かが柵を…まるでバリケードです(笑)…ソテツ「君」と呼びたくなるような…人格を感じました。
益田市の、とあるお方の生き物に対する「慈しみ」を感じ、感動しました
…地味に保護策が
に見えます(トランスすれば…
)この日の益田市の夕方の風景です。(いつも夕日ばかりでスミマセン)
画面中央から右奥に見える富士山のようなシルエットの山が昨日(ちょこっと)話題にした、須佐町の高山(山口県萩市須佐町)です。標高は532メートルですが、海からいきなり500メートルですから、その姿は目立ちます。この高山は古代から中世にかけては天然のビーコンだったと私は思っております。
【へんしゅう後記】
実は…
今日、しまねっこナビの人気ブロガーの一人「dさん」のおかげでテキーラの原料であるリュウゼツランの実体を知ることができました。
それと同時に、この体験を思い出したのでアップしました。(確か今年の1月7日のことです)(笑)
2009年01月07日
昭和20年 益田市沖に漂着したものとは?
前回の続き。益田市の漂着物エピソード。日本海の対馬海流が10人の命を救ったお話です。
時は昭和20年(1945年)
舞台は益田市の鎌手地区にある大谷海岸。
終戦間近、昭和20年8月14日夜9時頃、高島付近を漂流していたアメリカ兵10人が地元大谷の漁船団に救助されたそうです。

助けられたアメリカ兵はB29爆撃機
の乗組員。同年8月8日に長崎県の壱岐島のあたりで墜落
したということ。

なんとゴムボートで漂流6日間
…対馬海流に乗り益田市沖まで流れついたわけです。
長崎県の沖になる壱岐(島)から益田市沖の高島まで、直線距離で約200キロメートル強。6日間ですから対馬海流にのって1日あたり30~40キロメートルをプカプカと益田市沖の高島まで。
下の画像は大谷海岸から見える高島(益田市)

まさに海流のおかげで命を救われた話でしょ
当時、益田市の大谷はパニック状態になったとも。
しかも、翌日(昭和20年8月15日)正午には昭和天皇による玉音放送というタイミング、超デリケートな時期の出来事です。
でもさすが益田市の人々。多分漂流者アメリカ人10名への対応は「適切」だったのでしょう。
なぜなら、
救助されたマーティン・ザップさんが60年たった平成17年の8月14日に、79歳のおからだでこの地、大谷を訪れたというではないですか(案内板参照)
そして、
「島根県益田市の人ニ救助サレテ ‘マーティン’ラッキー
」と。(思ったことでしょう
…多分)
海流…自然界の活動は今も昔もさほど変わりません。変わったのは…
【しまねっこナビ グランドオープン記念 おまけ画像】
益田市大谷海岸から冬の益田市沿岸と夕日を撮影(撮影日1月6日)

翌日、救助されたマーティン・ザップさん達10名も同じような光景を見たかもしれません。
命を救われた彼ら米兵には当時の益田市の地に「まほろば」を感じたことでしょう。
(おっと!彼らアメリカ人だから「サンクチュアリ(sanctuary)」かな?)
MAP:大谷海岸(益田市鎌手地区)
時は昭和20年(1945年)
舞台は益田市の鎌手地区にある大谷海岸。
終戦間近、昭和20年8月14日夜9時頃、高島付近を漂流していたアメリカ兵10人が地元大谷の漁船団に救助されたそうです。
助けられたアメリカ兵はB29爆撃機
の乗組員。同年8月8日に長崎県の壱岐島のあたりで墜落
したということ。なんとゴムボートで漂流6日間
…対馬海流に乗り益田市沖まで流れついたわけです。長崎県の沖になる壱岐(島)から益田市沖の高島まで、直線距離で約200キロメートル強。6日間ですから対馬海流にのって1日あたり30~40キロメートルをプカプカと益田市沖の高島まで。
下の画像は大谷海岸から見える高島(益田市)
まさに海流のおかげで命を救われた話でしょ

当時、益田市の大谷はパニック状態になったとも。
しかも、翌日(昭和20年8月15日)正午には昭和天皇による玉音放送というタイミング、超デリケートな時期の出来事です。
でもさすが益田市の人々。多分漂流者アメリカ人10名への対応は「適切」だったのでしょう。
なぜなら、
救助されたマーティン・ザップさんが60年たった平成17年の8月14日に、79歳のおからだでこの地、大谷を訪れたというではないですか(案内板参照)
そして、
「島根県益田市の人ニ救助サレテ ‘マーティン’ラッキー
」と。(思ったことでしょう
…多分)海流…自然界の活動は今も昔もさほど変わりません。変わったのは…
【しまねっこナビ グランドオープン記念 おまけ画像】
益田市大谷海岸から冬の益田市沿岸と夕日を撮影(撮影日1月6日)
翌日、救助されたマーティン・ザップさん達10名も同じような光景を見たかもしれません。
命を救われた彼ら米兵には当時の益田市の地に「まほろば」を感じたことでしょう。
(おっと!彼らアメリカ人だから「サンクチュアリ(sanctuary)」かな?)
MAP:大谷海岸(益田市鎌手地区)



