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益田太郎
益田太郎
25年ぶり故郷島根の益田市
石見益田の風土の魅力を痛感。地元益田市の地味美学の追及をライフワークとする民(間)俗学者
尊敬する人
・宗像伝奇教授(むなかた・ただくす) ・マスターキートン
石見人
・森 林太郎・秦佐八郎(はた さはちろう)
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2010年03月21日

人麿の あしあと!?柿本人麿伝承岩「足型岩」(益田市戸田町)

益田市の有名人の一人、「柿本人麿」にちなむ益田市のプチ秘境を発見しました!

場所は益田市の戸田町(詳しくは下の地図でご確認ください)

「二つの柿本人麿伝承岩」という看板がありました。
(実は、私、益田市太郎…この場所の存在は1年以上前から知っていましたが…当時は(身の危険を感じるほどの)すごい藪で近寄りたくても近寄れない状態でした)それが今年の1月、ここを訪れた時、見違えるように手入れがされており、明るく、そして軽トラ(4WD)なら楽勝で通行できる状態にリニューアルされていましたface17

どういう方がここまで手入れをされたのかはわかりませんが…プチ秘境愛好家にとってはこの上なく「嬉しい」ことです!(感謝!)

で、今回は今年2回目の訪問(平成22年3月20日)でのレポートです。

早速ですが、タイトルの「足型岩」です。



ちょっと登って別角度から




この場所に関して
目印はこの看板です




伝承岩は全部で2つ!その位置に関する拡大画像です



この場所から約400m行ったところに「聖なる岩」があります。今回は断念しました
理由は…



です…先日来の大風による倒木が不吉なので断念しましたface20
MAP:柿本人麿伝承岩「足型岩」】
位置設定はかなりいい加減です…スイマセン!でもこの道がわかるかたなら「看板(上記画像)」は発見できますよ!
駐車スペースは車1台分(早い者勝ち?です)




  

2010年01月30日

白岩山 一畑薬師堂への登山道ガイド(益田市中垣内町)

先日以来2回にわたりご紹介している益田市の中垣内町にある一畑薬師堂について、
>>益田市に一畑薬師が!薬師堂を訪ねて(益田市中垣内町)
>>まるで天空のお堂!? 一畑薬師堂からの風景(益田市中垣内町)

今回はその道中(登山道)についてです。

まずは、スタート地点…「白岩山 一畑薬師堂 入口」と書かれた道標(みちしるべ)があります。
(ご覧の通り杖も十本近く用意されております



車でこの地点まで来ることは可能です。ただし、駐車場という専用スペースはありませんが、(いわゆる)車用の退避場がありましたので、そこに車を止めさせてもらいました。

車で行けるかどうか?については軽トラ(4WD)以上の足回りがある車なら可能だと思いますが、(前回も記述しておきましたが)1か所、雨水によるものでしょうか、かなり厳しく浸食された場所があります。
icon75初心者はやはり徒歩が無難ですねface17

そこからしばらくは、一畑薬師堂の方向に対し一旦背を向ける形で山道を登っていきます。

すると最初の大きなコーナー地点で二体のお地蔵様が…



表情も良くて、光の加減が良かったので…もう一枚!




このお地蔵様の場所からは、一畑薬師堂にむかって淡々と道なりに登っていく感じです。
(当然坂道ではありますが、大変スムーズに歩を進めることができます…)
登ること15分くらいでしょうか!?ゴール地点が見えてきました。



ちなみに、画像手前右に「大道山頂へ」という道標が(おわかりですか!?)ここからさらに右に向かう道に分かれます。旧来の大道山への登山道とここで接続しているわけですが、この旧登山道はかなり細い本格的な(笑)山道です。(ちなみに現在の大道山の山頂へは車(といってもやはり軽トラ)でいける登山道(未舗装)が整備されていますよね!)

画像奥の小屋(トイレ付)までたどり着くと

おおっ!目的地の「一畑薬師堂」がある大きな岩がみえました!…この光景にはかなりびっくりしましたよ!




ちなみに…今回最初にご紹介した画像「白岩山 一畑薬師堂」の白岩とは、まさにこの大きくて白っぽい岩のことをさしているのではないでしょうか!?

今回で、(とりあえず)益田市の「白岩山 一畑薬師堂」について最後の投稿とさせていただきますので…
ここ一畑薬師堂からの絶景スナップを2枚掲載させていただきます。

日本棚田百選の中の一つ平安時代から千年近い歴史があるという中垣内棚田と日本海




②白岩山 一畑薬師堂からみた中国山地




三子山が左真ん中あたりに見えます。その斜め右上はあの安蔵寺山のはずですが…ここからはギリギリ見えるか見えないかでしょうか!?

【MAP:…白岩山 一畑薬師堂入口地点(益田市 中垣内町)】
  

2010年01月27日

まるで天空のお堂!? 一畑薬師堂からの風景(益田市中垣内町)

昨夜ふと考えたのですが、益田市太郎がこれまでご紹介した益田市周辺の(プチ)秘境シリーズは基本的に自動車で行ける場所のみでした。で、このたびの益田市中垣内町の一畑薬師堂は「なんとface08」初の自力(自分の足)で到達した場所だということに今日気がつきました。おかげさまで益田市太郎、今日は生物学的な目も心眼もかなりクリアでございますface17
さて、機能ご紹介した益田市の「一畑薬師堂」未だ誰からも詳しいコンテンツを頂けないので、
今日は(昨日予告したガイドはやめて)
薬師堂の裏の岩の頂きから見えた風景をお届けします。

まずは「空」




季節風に乗った雲icon02がまるで艦隊のように漂っています。標高420メートルの大道山の半分ぐらいの場所とは思えない「高さ」を感じるのは、撮影場所が断崖絶壁の上だからなのでしょうか!?

お次は日本棚田百選の中の一つ平安時代から千年近い歴史があるという中垣内棚田



本当に素晴らしい光景です。益田市の「一畑薬師堂」は(地味に調べたのですが)明治時代にできたそうですが、このロケーションを選んだ方はすごいと思います。

今日はこの辺で!  

2010年01月26日

益田市に一畑薬師が!薬師堂を訪ねて(益田市中垣内町)

益田市に「一畑薬師」…薬師堂があることをご存知でしたか?
場所は益田市の中垣内町。中垣内町といえば以前このブログでも取り上げましたが棚田で有名ですね!
日本の棚田百選の一つに登録されています。
>>ガチ人力でつくった中垣内棚田の凄さ
上記に記載しておきましたが、ここ中垣内棚田は平安時代から千年近い歴史があるといいます。

さて、今回のテーマは一畑薬師如来堂…存在はかなり以前から益田市太郎は知っていたのですが、なかなか現地に赴く機会がありませんでした。
(というか決心face17がなかったのですが)
なぜなら、こんな高い場所あるからです!


(わかりますか!?お堂の屋根…赤瓦製が見えますface17

で、行ってみたらズバリ!こんな感じです。(徒歩で約20分ぐらいでした)


ありゃ!うまくとれとらんface07


一畑薬師如来堂…証拠はこれ(多分)「マルに一




ここの益田市の一畑薬師堂は小さな岩山の上にあるんですね!



最後の石段…足元には気を付けてくださいネ!




次回はここ薬師堂までの登山道のガイドです。
【MAP:一畑薬師(薬師堂)益田市中垣内町】

【へんしゅう後記】
コンテンツ充実のためいつものように参考文献を探したのですが、益田市の一畑薬師(薬師堂)に関するまとまった資料がなかなかありません!どなたかご存知の方!是非ともお教えください!ね。

ちなみに…
久々の投稿で、画像投稿方法が分からなくなってしまった益田市太郎でしたface20  

2009年11月23日

長沢トンネルで日本初を見た(益田市長沢町)

前回ご紹介した長沢トンネル
益田市の横田町から匹見につながる国道488号線。現在長沢バイパス工事の前半部として平成21年11月2日に開通しました。

長沢トンネルの入り口、トンネル歴板等の画像はコチラ
>>長沢トンネル開通で短くなった匹見町への道のり(益田市長沢町)
で、新しい物好きの私、益田市太郎は早速この長沢トンネルを走破してきたのですが…

実はこの長沢トンネルの中を走っているとなんとなく普通のトンネルと違う感じが!?face17




しました。気になったので(例によって)調べてみました。

長沢トンネル 工法」で検索したところ鴻池組さんの公式サイト内で以下のページを発見しました。
>>トンネル覆工コンクリートの養生技術 温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法 K-tics
温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法 K-tics…どうやら、国内初の新技術が採用されたようです!

さらに、もうひとつ(同じく鴻池組さんのサイト)で以下のページを発見しました!
>>長沢1号トンネル 山岳トンネルにおける新しい技術の導入というキーワード ズバリ!のページを発見しましたface17

なんと!益田市のこの長沢1号トンネルには、
温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法
トンネル地山評価システム
2つの日本初の技術が導入されているとのこと…どうりでネ…そんな感じがしたっすface17
温度制御噴霧式覆工コンクリート湿潤養生工法(K-tics)、トンネル地山評価システムともに
まさに、今後の山岳トンネル工事にどんどん採用されるべきノウハウですね。
(詳しくは上記リンク先(鴻池組さんのサイト内)を参照してください。)

鴻池組さんに限らず
大手ゼネコンさんの「新工法」とか「新システム」には「ナルホド!」って感動させられることが多いですface17

長沢トンネル歴板にもそのコト記述しておけば良かったのに…ね


ところで、この長沢トンネルの歴板の日付(年月)2009年3月となっています。これって一体どのタイミングの年月なんでしょうか?島根県の道路開通情報(益田)によると開通は2009年…平成21年11月2日となっています。事業着手は平成16年度。(1号)トンネル掘削開始は平成19年3月。貫通は平成20年7月です…長沢トンネルにとって2009年3月とはどんな意味があるのでしょうか?

※長沢バイパス工事の当初作成されたと思われるサイトでは「(仮称)長沢1号トンネル」となっていました。
で結局「このトンネルの正式名は何?」と感じたのですが、
トンネル銘板をみると「長沢トンネル」となっていて「1号」という表記は特にありませんでした。



新聞社の記述も「長沢トンネル」となっていたので…「じゃぁ、2号は…?」ってことが新たに気になり始めました。

【MAP:長沢トンネル】
今回は長沢トンネルの匹見側からの入口に(中心点)を設置しました。

マップトラバも同地点に設定しました。  

2009年11月21日

長沢トンネル開通で短くなった匹見町への道のり(益田市長沢町)

益田市の横田町から(益田市)匹見町へむかう国道488号線。

清流匹見川の大自然を満喫できるんで益田市太郎のお気に入りのルートの一つです。

ただし、この国道488号線。はじめてのドライブには結構シビアな箇所が場所が多い。
(まぁだからこそ極上の風景が楽しめるわけですが…)

実は、現在、この国道488号線で「長沢バイパス工事」というのが進められており、そのうち今月のはじめにまずは前半部分の「長沢トンネル(長沢第1トンネル)」が開通(平成21年11月2日)したそうです。これで益田市市街地から匹見町へ道のりが短くなりましたface02
ちなみに、「長沢バイパスの開通により延長が3.6km減少し、通過時間が約10分短縮される」といいます。(島根県 トップ>益田県土整備事務所>道路建設 国道488号 長沢バイパスより…本ページの下の方に「テキストリンク」しています。)
…私的には、(長沢1号トンネルを実際に利用してみて)もっと短縮できるような気がしましたが…気分的なもんでしょうか?

さて、この嬉しい知らせに(ちょっと遅くなったのですが)先日見てきました!「長沢トンネル」

これが「長沢トンネル」の入口(益田市横田町側)



…まさに「できたて」の白さface17

【MAP:長沢トンネルの入口(益田市横田町側)地点】
(地図の中心点が上の画像、下の画像地点を目印(「家」のマーク)にしてみました。匹見川沿いの既存の国道488号線のルートは狭くて見通しが悪いところが多かったですよネface20

これが匹見町側からみた入口



そしてこれが長沢トンネル歴板


…ピカピカicon99です!なぜか2009年3月となっていますface06

【長沢バイパス工事後半部について】
今後は長沢第2トンネルが計画されているようで…(おそらく)この山(左側)を貫くんでしょうネ!



ちなみに、長沢トンネルを抜け、匹見方面に向かう国道488号線の画像(乗用車、見えますか?)



どんな(厳しい)場所をはしっているか…伝わりましたでしょうか!?
(ていうか…自分で撮った画像を見て気づいたのですが、)
ここらあたりの匹見川って、両岸が重厚な岩場なんですネ!岩(場)の中を流れているって感じです。

【長沢トンネルの数字を知る!】
延長:1038メートル
幅:8.50メートル(2車線)
高さ:4.70メートル

平成18年度より着手しているという「国道488号長沢バイパス工事」
実は今回の長沢トンネルはこのバイパス工事のおよそ半分にあたるそうです。

島根県の公式サイトでの島根県 トップ>益田県土整備事務所>道路建設 国道488号 長沢バイパス によると
事業概要
計画区間     益田市長沢町~益田市匹見町澄川
計画延長     L=3.2km
計画車線数   2車線
主要構造物   トンネル:2本 (1号 L=1,038m 、 2号 L=約1,260m)
          橋梁:4橋 (本線橋 2橋 、 現道付替橋 2橋)
事業期間    平成16年度~平成25年度
全体事業費   約70億円


※次回は、この「長沢トンネル」の内部について特集します!(予定です)

【国道488号線について】
国道488号線は起点を島根県益田市の横田町 (国道9号交点)とし匹見町につながっています。そして広島県廿日市市の上平良交差点 (国道2号交点)まで)の総延長109.7km。
かつて、(ナビにしたがって)広島県廿日市市吉和から匹見にぬけようとしてエライめにあった(大雨かつ道幅酷セマ)ことを私は今でも鮮明に覚えておりマスダ!

※マップトラックバックは長沢第1トンネルの益田市横田町側入口に設定しておきました。  

2009年10月10日

「城山」と高嶽城の山口神社(跡)の謎(益田市真砂地区)その2

今回も益田市の「城山」について、「城山」は標高こそ460メートル程度ですが、近くで観ると結構険しく高い山と感じます。これは、「城山」が周囲に連なった山がなく、つまり独立した峰であり、イッキに250メートル(比高250m)ということによると思われます。
前回は益田市の「城山」の馬谷城(高嶽城)を(益田市の)歴史的視点で調べてみたわけですが、

>>「城山」と馬谷城(高嶽城)址由来の謎(益田市真砂地区)その1

今回は、益田市の「城山」、馬谷城(高嶽城)の地形的、構造的視点で調べてみました。
といっても、
前回投稿時に紹介した、案内板の横にあった「山城「高嶽城(たかだけ城)」 -登山道 案内-」がリソースですけど…face17




※益田市には史跡とかには、このような手書き(手づくり風)の案内板・説明板を結構見かけます。
(案内・説明)対象そのものの歴史的価値はもちろん、この「案内板・説明板」そのものにも歴史的、資料的価値を感じる…のは益田市太郎だけじゃろうか!?face18
※益田市の歴史に関して、諸先生・先輩方が残してくれた「歴史的(教育的)資産」の「保存」も重要なことだと感じますね。

【案内板全体】



案内板の左には、「特徴」としての記述が…




山城「高嶽城(たかだけ城)」
 -登山道 案内-
◆特徴
Y字形の山塊を削平して築城した山城で室町時代末から
戦国期にかけてのものに見える。大屋形方面に三本の
堀切りがあり、ここから城域である。主郭と二の郭の間は
土塁で区切られ、二の郭には昭和の初期まで祭礼に行われて
いたという山口神社(現在は山麓の厳島神社に合祀されている)
の礎石や瓦片が散乱。二の郭の巨石から土塁までは
矢竹が密生している。Y字形の北方真ん中の溢の
中に「馬釣井」という井戸があると聞き、さがしたが
見つからなかった。南方尾根をさがると扇状形の
広い削平地に出る。兵溜りとして利用したものか、
その下方に削平地をはさんで三本の大きな堀切があり、
袖郭も二段から三段の構成である。この郭をはさんで、
ほぼ左右に大きな穴があり、図では水留めとしておいた。
また東側の山の麓は現在西日本鉱業所の珪石採掘場で、私の
登山は会社の御好意によりジープに同乗させていただいて、
北東尾根より調査をした。
南方尾根下の「馬谷・柿原線」の城山寄りの民家の位置から岩倉へ
の山道があるので、この方面からが高嶽への登山は簡単と思われる。
(山城「高嶽城(たかだけ城)」 -登山道 案内-より)


山城「高嶽城(たかだけ城)の◆特徴の記述内で気になる点(謎)が…!?

主郭と二の郭の間は土塁で区切られ、二の郭には昭和の初期まで祭礼に行われていたという山口神社(現在は山麓の厳島神社に合祀されている)の礎石や瓦片が散乱。

やっ山口神社!?

益田市の山城(砦)に関しては、あの貴重な資料(書籍)、廣田先生の
西石見の豪族と山城(著者 廣田八穂 昭和60年2月28日発行)』

今回も参考にさせてもらってるんですが…

face17…「山口神社」(益田市周辺では、あまり聞きなれない神社名ですが)廣田先生の『西石見の豪族と山城』でも

二の丸の東端本丸近く山口神社址が確認される。山口神社について詳しいことはわからないが、昭和の初期迄は神社があり、祭礼も行われたという。恐らく高嶽城鎮守の神と思われるが、祭神についてはわからない。現在は山麓の厳島神社に合祀されている。
(『西石見の豪族と山城P106 (著者 廣田八穂 昭和60年2月28日発行)』)


山口神社については「不明」ということなのであります!

そういうわけで、(得意の)
インターネットで「山口神社」たるもの…検索・調査してみたところ、
なんと!素晴らしいサイトを発見しました!face08

>>神奈備にようこそ!というサイトです!

山口神社と山口神について「由緒」としての情報「説明」がありました!face19(うれし~)
>>大坂山口神社


由緒
山口神とは皇室の舎殿の用材を切り出す山々の神とされる。『延喜式』祝詞では、飛鳥、石村(いはれ)、忍坂、長谷、畝火、耳無の名が見える。  他に夜支布、巨勢、鴨、當麻、大坂、吉野、都祁の八社を合わせて十四社が式内大社となっている。山の神を祀るわけだから、水の神でもあり、農の神でもあった。


さらに!上記、神奈備にようこそ!様のページ内、下の方に、「水分神社」があります。「水分神社」は益田市の水分町と元町の間にありますね!…山口神社と水分神社の関係は?…神奈備にようこそ!様に尋ねてみましょうか?(笑)

益田市の「水分神社」についても調べてみます。
(こりゃ、地味に面白くなってきた…日常生活には全く関係って言われとるんじゃけどネface17

あと…
廣田先生の『西石見の豪族と山城』には、(前回ふれた、この高嶽城を築いたという)平 宗範は、
伝承では城麓馬谷には匹見地方の平家伝説と同様な伝説がある。平 宗範はこの地に落ちのび高嶽城を築き、建保元年(1213年)には厳島神社を建立したとも伝えられる。
(『西石見の豪族と山城P106 (著者 廣田八穂 昭和60年2月28日発行)』)

とあります。この厳島神社とは、「城山」山麓の厳島神社のことでしょうか?  

2009年10月07日

「城山」と馬谷城(高嶽城)址由来の謎(益田市真砂地区)その1

益田市にはいろいろな名前のついた山があるのですが、今回特集したのは益田市の真砂地区にある「城山」
「城山」といえば、「日本最大規模のペグマタイト鉱床」の西日本鉱業株式会社の馬谷城山鉱山がある!ということで超有名な山なんですが…

今回、ふと思ったicon75のは、この山の名前、「城山」と言うのなら、そこには、かつて「城」があったのでは…!?
もし、城があったとすれば、一体、益田市の歴史の中で、どんな(歴史的)ストーリーをもつ「城」があったのか?face18

というわけで、早速現地に行って調べてみましたicon107
まずは、益田市の「城山(標高460メートル)」の画像。



鉱山側から撮影、城山の頭の部分しか映っておりませんのう…もっと迫力があるんですが…スミマセンface20
ちなみに益田市の「城山」を遠くから見た画像は…
>>蛇瀧探検(益田市真砂地区)の一番下にあります(ちょっと小さいですが)

さて、早速発見しました!益田市の城山の城(山)たる所以face08
この山には、馬谷城(別名、高嶽城(たかだけ城))という城があったそうです!

でっ、この馬谷城については、現地に案内板がありましたので、その内容を引用します。
馬谷城址由来
寿永四年(1185年)源平合戦で壇の浦に破れた平家の将 平 宗盛(清盛の三男)の三男 平 宗範 は 源 義経 の幕下で参戦した 御神本兼高(後に 益田 と改姓)に捕らえられたが素直に帰順したので馬谷に住むことを許されこの地に築城を命ぜられたものと思われる。

馬谷城は別名 高嶽城とも謂われ馬谷・大谷形・岩倉の三村に跨る標高460米の山嶽の中央に在る。

百四十年後の文和二年(1353年)足利 直冬 が探題として入場 中国地方に号命することとなった。

しかし当時の政変からここに住んだのは僅か数ヶ月間に過ぎなかったのではなかろうか第三次城主 杉盛 氏久 も毛利・益田の領主に反逆謀反を起こして滅亡してしまった。

以来令から城山と呼ばれて親しまれてきたこの山も歴史の変遷と年月の隔りよりさだかでないが

本丸・神社跡オバンバの石・物見槽跡など伝説をたよれば峻険な馬谷側よりも大屋形側が登山口として浮かび上がってくるのである。

益田兼高は※建久四年益田七尾山に城を築いてここを主城とし高嶽城などを支城として補築したものと思われる。

神秘に包まれた山岳は滅多に人を寄せつけず今も眠りつづけているのである。

平成九年五月 文 熊谷政雄

真砂地区活性化対策協議会




【現地の「馬谷城址由来」説明案内板】


オバンバの石、物見槽跡…なかなか興味をそそるアイテムがありますね…物見「槽」というものがあったんだ…face17

【元号:建久(けんきゅう)そして建久四年…ちょっとケンキュウしてみました】
※建久四年(1193年)
※建久(けんきゅう)は、1190年~1198年。天皇は後鳥羽天皇、土御門天皇。
建久3年 源頼朝が征夷大将軍になり鎌倉幕府を開く。
建久4年 曾我兄弟が富士裾野の狩場にて父の仇を討つ。
建久7年九条兼実が関白を罷免される。(建久七年の政変)
建久9年 後鳥羽天皇が土御門天皇に譲位し院政をしく。

ちなみに…
壇ノ浦の戦いで「平家」が滅亡した寿永4年(1185年)が文治元年になりますね。

それと…

益田市の七尾城址、築かれたのが※建久四年…西暦で1193年ということですが、これまで、益田市太郎は、(高校で日本史を学んでいないせいか)益田兼高、七尾城築城などの時代、歴史的背景についてイメージを持っていませんでした(笑)

ですが、

源頼朝が征夷大将軍になり鎌倉幕府を開く。

となれば、だいたい当時の日本のイメージが…湧く
(よね!?中学レベルの歴史の知識で対応できるし)

しかも、建久3年1192年…「いいくに つくろう鎌倉幕府」

は、ワシでも知っとるし…

(長くなりましたが)

益田市の七尾城(跡)は鎌倉幕府ができた翌年に築城された。

つまり西暦1192年+1年=1193年…12世紀の終わり頃!

(という…「アハ体験(古っ!?)」で…「知識」として頭に焼きついたし(笑))

次回は、益田市の「城山」の登山道案内図からの特集をしたいと思いマスダ!
【MAP:城山(益田市真砂地区)】
※航空写真モードにしてみると、「日本最大規模のペグマタイト鉱床」露天掘りの鉱山現場の規模がわかるよ!


あと左下には先日特集した益田市唯一の「一等三角点」の韮草山がありますね!
>>益田市唯一の… 韮草山の謎が解けた日(益田市岩倉町)

【ルート紹介:益田市長沢町の柿原方面から馬谷方面に行くには】  
続きを読む

2009年10月01日

韮草山(益田市岩倉町)周辺情報と紫式部の花について

前回、益田市の韮草山(にらくさやま:標高544メートル(正確には543.6メートル))の(かなり私的な)謎を解明した様な気がし気分がすっきりしている益田市太郎。
>>益田市唯一の… 韮草山の謎が解けた日(益田市岩倉町)

せっかく(?)なので韮草山周辺情報としていくつかご案内させていただきます。
(ちなみにリンク先タイトル中の「益田市唯一の…」の「…」は「一等三角点 」です)

まずは、「岩栃しだれ桜



場所:岩倉町 大元神社境内。樹齢は約120年


前回投稿した画像に「韮草山案内板」がありましたが、そこから約100メートル程歩いた神社(大元神社)にありました。



※画像中央左、電柱が若干かぶっていますが、「岩栃しだれ桜」がある岩倉町 大元神社の鳥居がみえます。
(ちなみにバックは韮草山、本体です。こっちの画像の方が(前回より)良かった…face20

(来年の春の益田市周辺の名物「桜」シリーズには是非とも取り上げたいものですface17

ところで、
大元神社の階段を上ると…向かって右側「阿形(あぎょう)」しかおりませんface08



変ですね!
おっ、境内のそばにおりました「吽形(うんぎょう)



ムチャクチャ機嫌悪そー!face20
どうやら、ここ益田市岩倉町の大元神社の「吽形(うんぎょう)」は、本来据えられる部分近くまで「くえていて(崩れていて)」ここに、避難しているようです。

【紫式部の花をご存知ですか?】
前々回の投稿
>>韮草山(にらくさやま)麓でみつけた紫式部(益田市岩倉町)



でこの画像を投稿したとき、ふと思ったこと…
ところで紫式部の花ってどんなんじゃろう?

ということで、調べてみましたら、こちらのサイトで見つけました。
【紫式部の花の画像があるサイト】
>>メタフォトグラフィーの世界 「記録」から「記憶」へ 紫式部の花
紫式部の花…私、益田市太郎的にはかなり「レア」な画像だと思いマスダ!
(メタフォトグラフィーの世界 「記録」から「記憶」の管理者様からは快くリンクの許可を頂きました。ありがとうございました! …コメント欄をご参照ください)

【岩倉町の集落センター(でしたか)から見た山なみにて発見!】
結局、この話題か!って思われそうですが…




「ブナ科樹木萎凋病(ナラ枯れ)」かなりひどいです!しかも、「松枯れ」とのダブルパンチじゃicon102

【MAP:「岩栃しだれ桜」大元神社(益田市岩倉町)】
地図上のポイントはかなり大雑把になってしましました。

地図上では点線になっていますが、実際はかなり整ったきれいな道路です。
(確か、「岩倉(もしくは岩栃)集落道路」っていう名前だったような…最近舗装されたようです。やっぱ、「道路」って必要だネ!)

こんな感じです。



ちなみにgoogleマップにトラックバックしようと思いましたが・・・益田市の韮草山周辺は「真っ白」でした!face20  

2009年09月30日

益田市唯一の… 韮草山の謎が解けた日(益田市岩倉町)

今回は前回の予告通り。韮草山(にらくさやま)の話題。
(益田市の超マニアックというか超ニッチというか、ひと昔前にはやったトリビア的な話題です。スミマセン)
韮草山(にらくさやま)は標高544メートル(正確には543.6メートル)の山。
益田市の岩倉町に登山道入り口があります。
(標高544メートルといえば日帰り登山にぴったりですネ!眺望もいいらしく益田市の市街地を一望できるとか)

登山口(駐車場あり)から撮影した韮草山の画像です。(現地ではもっと高く見えますface20




見た目、普通、山なんです。また特に広く知られた(益田市の)観光名所や秘境、伝説系の話題はありません。
ですが、私がこの韮草山に大きな「謎」を感じていたところがありました。

それは、下の「Yahoo!地図」です。中央に「韮草山」を設定しております。

気が付きましたか?…韮草山の大きな「謎」

益田市周辺のYahoo!地図ではこの縮尺レベルで、真っ先に表示される山なんです!

(すげ~マニアックというかトリビア的な話題。スミマセン)

見た目、普通の山、益田市の韮草山。特に広く知られた(益田市の)観光名所や秘境、伝説系の話題も無し。の韮草山。

私、益田市太郎も今回が初めてなんですが、ほぼ「寄り道がてら」的なものでした。

でも、益田市周辺のYahoo!地図ではこの縮尺レベルで、
真っ先に表示される山がこの山「韮草山」なんです!…凄く不思議。(だと思いませんか?)

私的には最近大きな変動があったYahoo!さんのアルゴリズム。検索ロジック…YST(Yahoo! Search Technology)の謎に匹敵します。

でも、今回実際に「韮草山」へ行ってみてわかりました!(多分)

答えは「韮草山案内板」内にありましたface08
(平成19年度 益田市地域づくり支援事業 豊川地区振興センターさんによるもの)



多分ですが…)「一等三角点」(しかも「益田市で唯一」と強調されている)」だから…でしょう!?

標高543.6メートル
北緯34度37分21秒2298
東経131度53分23秒1646

だそうです「細かっ!」face20

ちなみにgoogleマップでは、益田市の他の山、そうそうたる顔ぶれでございますface17

【上のgoogleの地図内で益田市の山で以前、このブログで投稿記録があるもの】
・比礼振山(ひれふりやま)(権現山(ごんげん山とも))
>>比礼振山(権現山)から益田市を俯瞰すると
投稿日:2009年01月09日
>>益田市の佐毘売山神社と世界遺産「石見銀山」との関係 投稿日:2009年04月24日

・日晩山(ひぐらしやま)
>>蛇瀧探検(益田市真砂地区) 投稿日2009年03月23日

・天狗山(てんぐやま)
>>天狗山とその奇跡…益田市の秘境シリーズ(其ノ一) 投稿日:2008年12月23日
>>天狗山(益田市薄原町 大峯破地区)考 投稿日:2008年12月26日

【一等三角点とは!?】
(せっかくなんで調べておきました)
まずは、そもそも
「三角点」とは!?
三角点(さんかくてん)とは、三角測量に用いる際に経度、緯度、標高の基準になる点のことである(標高については、別途、基準となる水準点も存在する)。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。通常、見晴らしの良い場所に設置されるため、高山の山頂付近に設置されている場合が多い。このため、一等三角点を山頂に持つ山の踏破を目標とする登山愛好者も多い。場所によっては、公立学校などの公的建造物の屋上に設置されている場合もある。三角点には、基準となる柱石が設置されている。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

一等三角点 」とは!?
設置間隔は約40km、必要に応じて補点(約25km間隔)が設置される。
全国に約1千点。
柱石の一辺は18cm、破壊や破損に備えて、柱石の直下には2枚の盤石も埋設されている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
  

2008年12月27日

益田市の(プチ)秘境 シリーズ一覧

島根県益田市の秘境(プチ秘境)をかなり自由な発想による独自基準でまとめました。

【益田市の秘境シリーズ】

face12其ノ一の1…天狗山とその奇跡
face12其ノ一の2…天狗山(益田市薄原町 大峯破地区)考

face12其ノ二の1…人形峠(じんぎょう峠)(益田市 飯浦町)
face12其ノ二の2…益田の人形峠で「感謝」再考
face12其ノ二の3…人麿さんを探せ人形峠でアハ体験(益田市飯浦町)
face12其ノ二の4…人形岩の謎(益田市飯浦町)

face12其ノ三の1…四つ山(よつやま)に感じるグレイシートレイン(益田市美都町仙道)

face12其ノ四の1…唐音の蛇岩の神秘(益田市鎌手地区)

face12其ノ五の1…オバマの大岩壁(益田市小浜町)

face12其ノ六の1…ガチ人力でつくった中垣内棚田の凄さ

face12其ノ七の1…蛇瀧探検(益田市真砂地区)

face12其ノ八の1…金谷の城山桜と周辺の風景(益田市美都町)

face12其ノ九の1…世界初公開 「能登の大竜頭」(益田市能登川)※インターネット初公開です!

face12其ノ十の1…三子山(みつごやま)眺望ポイント(ハビ内谷林道)

face12其ノ十一の1…昭和20年 益田市沖に漂着したものとは?(益田市鎌手地区大谷海岸)
face12其ノ十一の2…アロエ考 益田市の、とある浜にて地味に学ぶ(益田市鎌手地区大谷海岸)

face12其ノ十二の1…都茂鉱山跡、都茂鉱(tsumoite)を訪ねて
face12其ノ十二の2…都茂鉱山跡 ズリの中から都茂鉱(tsumoite)が!?…都茂鉱らしきもののサンプル画像
face12其ノ十二の3…探訪「都茂鉱山跡」…丸山坑入口付近
face12其ノ十二の4…丸山銅山遺跡とは…(都茂鉱山跡探訪シリーズ第4回)
face12其ノ十二の5…丸山銅山跡をめざして(旧安養寺跡)
face12其ノ十二の6…丸山銅山跡と旧安養寺跡、そして山烏行淵

face12其ノ十三の1…比礼振山(権現山)から益田市を俯瞰すると
face12其ノ十三の2…益田市の佐毘売山神社と世界遺産「石見銀山」との関係
face12其ノ十三の3…都茂鉱山と比礼振山(権現山)と「大蛇のあと」

face12其ノ十四の1… 「後山都茂屋のヤブツバキ」を見ゆ(島根県天然記念物)(益田市美都町丸茂)
face12其ノ十四の2…やばいかも?「後山都茂屋のヤブツバキ」(益田市美都町)
face12其ノ十四の3…後山都茂屋のヤブツバキへの道(体験情報レベルです)

face12其ノ十五の1…岩肌に刻まれた深いメッセージ(益田市古矢遺跡の謎)※インターネット初公開です!