プロフィール
益田太郎
益田太郎
25年ぶり故郷島根の益田市
石見益田の風土の魅力を痛感。地元益田市の地味美学の追及をライフワークとする民(間)俗学者
尊敬する人
・宗像伝奇教授(むなかた・ただくす) ・マスターキートン
石見人
・森 林太郎・秦佐八郎(はた さはちろう)
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2010年03月18日

岸つつじ(岸躑躅)の花が咲きました(益田市高津の民家庭にて)

岸つつじ(岸躑躅)の花が咲きました…といっても高津川や匹見川ではありません。
タイトルにもありますように益田市の高津の某民家の庭です(すいませんface20




このブログでは以前、匹見川で咲いている岸つつじ(岸躑躅)の風景を掲載しました。
>>能登川で見つけた「赤石」と匹見川の岸ツツジ
(2009年05月15日)

岸ツツジ(岸躑躅)といえば(やはり)四万十川という感じですが…ここわれら益田市でも高津川上流や匹見川ではあちこちに群落をみることができます。




アップの画像でみると5枚ある花弁の真ん中上紅色の斑点があるんですね!(撮ってて気付いた)
この花は鉢植えとなっているのですが、昨年、秋口に高津川が増水した際、大魚渓あたりの岸に漂着していたものを鉢植えしたものでした。

通常このツツジは岩肌の割れ目深くに根をはり、(おおげさじゃなく)つまようじぐらいの太さの茎のものでも抜くことはできません。

(おそらく、岩はだのくぼみの砂たまりにでも根をおろしていたものが、大水にさらわれて漂着したものだと思われますが)
父の話によると「
カワツツジ(川躑躅)(…ナゼか父はそう呼ぶのですが)鉢植えはカナリ珍しいんじゃ!」
と言っておりました(笑)

で、実際の高津川の岸ツツジの様子ですが、まだ花芽が膨らんだ程度、やはり現場での開花は4月中旬から下旬というところでしょう…地味に楽しみですface17  

2010年03月17日

清流高津川が増水していました

ここ数日、益田市は温かく、たまに強い日差しもあったのですが、それ以上に「黄砂」がひどかったですね。
昨日、益田市から六日市に行く途中の「高津川」の様子です。
先日のシャーベット(というか)ラード状の雪がとけた影響でしょうか?清流高津川がかなり増水していました。

撮影場所は、国道187号線の軍馬谷と大魚トンネルの間あたりです。




もう少し上流の高津川の様子、吉賀町の「つり橋」付近の様子




このつり橋の上で発見!



虹ができてました。(わかりますか?)

【へんしゅう後記】
と、なにくわぬ雰囲気でブログ更新したのですが、1か月半以上お休みしていました。
冬眠からさめた益田市太郎の地味な益田市情報…ぼちぼち復活します。




  

2010年01月30日

白岩山 一畑薬師堂への登山道ガイド(益田市中垣内町)

先日以来2回にわたりご紹介している益田市の中垣内町にある一畑薬師堂について、
>>益田市に一畑薬師が!薬師堂を訪ねて(益田市中垣内町)
>>まるで天空のお堂!? 一畑薬師堂からの風景(益田市中垣内町)

今回はその道中(登山道)についてです。

まずは、スタート地点…「白岩山 一畑薬師堂 入口」と書かれた道標(みちしるべ)があります。
(ご覧の通り杖も十本近く用意されております



車でこの地点まで来ることは可能です。ただし、駐車場という専用スペースはありませんが、(いわゆる)車用の退避場がありましたので、そこに車を止めさせてもらいました。

車で行けるかどうか?については軽トラ(4WD)以上の足回りがある車なら可能だと思いますが、(前回も記述しておきましたが)1か所、雨水によるものでしょうか、かなり厳しく浸食された場所があります。
icon75初心者はやはり徒歩が無難ですねface17

そこからしばらくは、一畑薬師堂の方向に対し一旦背を向ける形で山道を登っていきます。

すると最初の大きなコーナー地点で二体のお地蔵様が…



表情も良くて、光の加減が良かったので…もう一枚!




このお地蔵様の場所からは、一畑薬師堂にむかって淡々と道なりに登っていく感じです。
(当然坂道ではありますが、大変スムーズに歩を進めることができます…)
登ること15分くらいでしょうか!?ゴール地点が見えてきました。



ちなみに、画像手前右に「大道山頂へ」という道標が(おわかりですか!?)ここからさらに右に向かう道に分かれます。旧来の大道山への登山道とここで接続しているわけですが、この旧登山道はかなり細い本格的な(笑)山道です。(ちなみに現在の大道山の山頂へは車(といってもやはり軽トラ)でいける登山道(未舗装)が整備されていますよね!)

画像奥の小屋(トイレ付)までたどり着くと

おおっ!目的地の「一畑薬師堂」がある大きな岩がみえました!…この光景にはかなりびっくりしましたよ!




ちなみに…今回最初にご紹介した画像「白岩山 一畑薬師堂」の白岩とは、まさにこの大きくて白っぽい岩のことをさしているのではないでしょうか!?

今回で、(とりあえず)益田市の「白岩山 一畑薬師堂」について最後の投稿とさせていただきますので…
ここ一畑薬師堂からの絶景スナップを2枚掲載させていただきます。

日本棚田百選の中の一つ平安時代から千年近い歴史があるという中垣内棚田と日本海




②白岩山 一畑薬師堂からみた中国山地




三子山が左真ん中あたりに見えます。その斜め右上はあの安蔵寺山のはずですが…ここからはギリギリ見えるか見えないかでしょうか!?

【MAP:…白岩山 一畑薬師堂入口地点(益田市 中垣内町)】
  

2010年01月27日

まるで天空のお堂!? 一畑薬師堂からの風景(益田市中垣内町)

昨夜ふと考えたのですが、益田市太郎がこれまでご紹介した益田市周辺の(プチ)秘境シリーズは基本的に自動車で行ける場所のみでした。で、このたびの益田市中垣内町の一畑薬師堂は「なんとface08」初の自力(自分の足)で到達した場所だということに今日気がつきました。おかげさまで益田市太郎、今日は生物学的な目も心眼もかなりクリアでございますface17
さて、機能ご紹介した益田市の「一畑薬師堂」未だ誰からも詳しいコンテンツを頂けないので、
今日は(昨日予告したガイドはやめて)
薬師堂の裏の岩の頂きから見えた風景をお届けします。

まずは「空」




季節風に乗った雲icon02がまるで艦隊のように漂っています。標高420メートルの大道山の半分ぐらいの場所とは思えない「高さ」を感じるのは、撮影場所が断崖絶壁の上だからなのでしょうか!?

お次は日本棚田百選の中の一つ平安時代から千年近い歴史があるという中垣内棚田



本当に素晴らしい光景です。益田市の「一畑薬師堂」は(地味に調べたのですが)明治時代にできたそうですが、このロケーションを選んだ方はすごいと思います。

今日はこの辺で!  

2010年01月26日

益田市に一畑薬師が!薬師堂を訪ねて(益田市中垣内町)

益田市に「一畑薬師」…薬師堂があることをご存知でしたか?
場所は益田市の中垣内町。中垣内町といえば以前このブログでも取り上げましたが棚田で有名ですね!
日本の棚田百選の一つに登録されています。
>>ガチ人力でつくった中垣内棚田の凄さ
上記に記載しておきましたが、ここ中垣内棚田は平安時代から千年近い歴史があるといいます。

さて、今回のテーマは一畑薬師如来堂…存在はかなり以前から益田市太郎は知っていたのですが、なかなか現地に赴く機会がありませんでした。
(というか決心face17がなかったのですが)
なぜなら、こんな高い場所あるからです!


(わかりますか!?お堂の屋根…赤瓦製が見えますface17

で、行ってみたらズバリ!こんな感じです。(徒歩で約20分ぐらいでした)


ありゃ!うまくとれとらんface07


一畑薬師如来堂…証拠はこれ(多分)「マルに一




ここの益田市の一畑薬師堂は小さな岩山の上にあるんですね!



最後の石段…足元には気を付けてくださいネ!




次回はここ薬師堂までの登山道のガイドです。
【MAP:一畑薬師(薬師堂)益田市中垣内町】

【へんしゅう後記】
コンテンツ充実のためいつものように参考文献を探したのですが、益田市の一畑薬師(薬師堂)に関するまとまった資料がなかなかありません!どなたかご存知の方!是非ともお教えください!ね。

ちなみに…
久々の投稿で、画像投稿方法が分からなくなってしまった益田市太郎でしたface20  

2010年01月02日

米原恭庵の「自信」と「勇気」に学ぶ(益田市 染羽天石勝神社)

元旦の昨日、益田市の柿本神社での初詣で、益田市民の行列におどろきつつ、その後、益田市の染羽町にある染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)にも行ってみよう!ということになりました。染羽天石勝神社に初詣に行くのも益田市太郎初の経験です。

で益田市の染羽天石勝神社については後日、改めて詳しくご紹介するとして…この日、染羽天石勝神社にて私は地元 益田市にかかわる偉大な人物を知ることになりました。

その人の名前は「米原恭庵」といいます。皆さんご存知でしたか!?
江戸時代の医師で、嘉永二年(1849年)、彼が二十一歳のときに高角村(現高津町)で流行したという痘瘡(天然痘)に対し(柿の資料から判断して、おそらく日本人として初めて)牛痘を施し、その被害を抑えたという方です。

まずは、社団法人 益田市医師会による米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)です。



米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)

米原恭庵は若くして医学を志し、十七歳で江戸に上り西洋法内外科及び牛痘種法等を修学。二十一歳のとき当時の高角村(現高津町)で痘瘡(天然痘)が流行したため、私財を投じて五百余名の地元民に牛痘を施し、大成功を収めこの災疫から救った。
ジェンナーの種痘法後五十年を経た嘉永二年(1849年)7月17日に、オランダのモーニッケが長崎で日本初の牛痘接種に成功しているが、そのわずか二ヵ月後に僻地に住む恭庵が新しい種痘法を実施したことになる。

益田医師会は、全国に先駆け牛痘接種を断行し、防疫に貢献した米原恭庵翁の功績をたたえ遺徳を敬仰し頌徳碑を建立した。

右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。

          社団法人 益田市医師会
(※赤文字強調は益田市太郎による)

ちなみに、「右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。」はこちらです。




私が米原恭庵さんに感じたのは(牛痘接種は)当時の段階ではおそらく「効果がわかかっていても、それ(新しいこと)を実行(行動)するには相当な「自信」と「勇気」があったのだろうな」ということです。

今年の私のテーマの一つになりうそうです。
この元日に益田市の染羽天石勝神社で米原恭庵さんの偉業をしることとなり大変感謝していますface17

【用語】
頌徳(しょうとく)⇒徳をたたえること。(YAHOO!JAPAN辞書より)

嘉永2年「嘉永」は江戸時代徳川幕府時代の元号。ちなみにその4年後の嘉永6年(1853年) アメリカの東インド艦隊率いるペリー提督の来航があったといえば時代の雰囲気はお分かり頂けるでしょうか!?

ジェンナーについては以下ご参照
エドワード・ジェンナー(Edward Jenner、1749年5月17日 - 1823年1月26日)は、イギリスの医学者。天然痘ワクチンを開発したことで知られる。
この時代、イギリスでは天然痘はしばしば流行していた。これに対する予防法としては18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種するという方法がアラブ世界からもたらされたが、この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものであった。

ジェンナーが医師として活動していた頃には、牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった 。天然痘に比べると、牛痘ははるかに安全な病気であった。ジェンナーはこれが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。

1798年、これを発表し、その後、種痘法はヨーロッパ中にひろまり1802年、イギリス議会より賞金が贈られたが医学界はこの名誉をなかなか認めなかった。また一部の町村では、牛痘を接種すると牛になると言われて苦労したが、接種を「神の乗った牛の聖なる液」と説明したと言われる。しかしその後の天然痘の大流行を機にジェンナーの種痘法は急速に普及し、彼は「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。

鳥の習性にも造詣が深く、カッコウの托卵や鳥の渡りを研究した事でも知られている。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
(※赤文字強調は益田市太郎による)

本題とはそれますが・・・ピンクの文字のところについてジェンナーといえば小学校のころに読んだ「わが子の腕に…」という超インパクトのあるキャッチコピーによる記憶があったのですが・・・「1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。」という事だったようです。…ジェンナーの業績からして、誰の腕で実験しようと(いい意味で)どうでもイイことなんですけどface17

MAP:染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)(益田市染羽町)】

マップトラバもしておきます。
  

2010年01月01日

初詣で行列をみた(益田市 柿本神社)

皆さん明けましておめでとうございます!
今年はクオリティー重視icon53で益田市の様々な話題をとりあげていきたいと思います。
(最近の益田市太郎かなり投稿ペースが落ちていますしface17
本日は初詣ということで益田市の柿本神社へ行ってきました。
実は私、元旦に益田市の柿本神社に行くのは初めてのことなんです。

で、ビックリface08したのが…この行列!



益田市では滅多に見られないながさです…
柿本神社の拝殿に上がる階段から始まっています



全長60~70メートルはあったでしょうか?
こんな長い行列…最近の益田市では火曜日の「ゆめタウン益田(益田市高津七丁目21-12)」以外では…なかなか見ることができないのではないでしょうかface17

人麿さんもちょっとビックリしているような…「マジかよ…」って感じのお顔face17




私はただただ、平穏にこの益田市ですごさせていただけることに感謝ですface17

帰りに柿本神社から見えた益田市の須子町方面…
高津川の名物の一つ「高角橋」と「大和紡績株式会社の関係会社の工場と煙突」
の風景です。



まさに昭和の香りがプンプンです!

それでは、今年もよろしくおねがいしマスダ!  

2009年12月27日

益田越中守兼堯の像の視線を追う(益田市七尾町)

今回は久しぶりに益田市の話題。益田市の偉人・有名人として益田兼堯(ますだ かねたか)に関する話題。

益田兼堯(ますだ かねたか)といえば雪舟による益田兼堯像が有名です。(以前も取り上げましたが)この雪舟筆 「益田兼堯像」は益田市の市立 雪舟の郷記念館に収蔵されているということですが、なぜか、なかなかタイミングが合わず未だに鑑賞することができていませんicon102

そんな益田市太郎の愚痴face03をある人に伝えたら

「銅像ならいつでも見れるぞ!」

ということで場所を聞いてicon17早速見に行ってきました。

場所は益田市七尾町の妙義寺の(道をはさんだ)正面におられました。








この像…自信ありげな表情に頼りがいを感じませんか?

益田兼堯さんはどこを見つめ何を思っておられるのでしょうか…

台座には益田越中守兼堯公像と



(この文字はかつての衆議院議長 桜内義雄氏によるものです)

越中守とはどのような役職?名なのでしょうか…結構調べたんですが未だに解明できていません。

横には益田兼堯に関する益田市観光協会による説明文があります。内容はよさそうなのですが…


黒御影で読むのにマジ疲れるface07ので得意の(笑)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用させていただきました。

益田 兼堯(ますだ かねたか、? - 文明17年(1485年))。は、室町時代後期の人物。石見の国人領主益田氏当主で第15代益田城城主。益田兼理の子。益田常兼の弟。益田貞兼、女子(陶弘護妻)の父。越中守。

永享3年(1431年)、父と兄が大内盛見に従い九州の少弐氏、大友氏と戦い、盛見と共に戦死したため家督を継いだ。以来、益田氏の当主を長期にわたって務め、大内氏のみならず幕府とも直接、誼を通じ、それぞれの戦いで着実に戦功を積み勢力を拡大させた。応仁の乱の際は大内氏に従い西軍に属し、文明2年(1470年) 大内教幸(道頓)の反乱の際には、女婿の弘護を支援し石見の有力国人の吉見信頼らを制圧した。その一方で、東軍の細川氏とも通じていたとされる。晩年は子の貞兼に家督を譲って隠居した。

雪舟と親交があったと伝えられており、彼が描いた兼堯像は国の重要文化財に指定されている。
【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用】




この『ウィキペディア(Wikipedia)』の内容だけでも益田氏や益田 兼堯(ますだ かねたか)には随分興味がそそられるものがありますねface17

MAP:益田越中守兼堯公像のある場所(益田市七尾町)】

※マップトラバもしておきます。  

2009年12月14日

犬戻地蔵尊と高津川がつくった地形(津和野町)

今回は久しぶりに高津川の風景情報です。益田市を流れる高津川、その周辺の地形は津和野町日原までは比較的穏やかな感じがします。ですが、津和野町日原から吉賀町までとなると途中何か所か険しい地形を見ることができます。

中でも、国道187号線「犬戻トンネル」の前後は、高津川自体も大きく蛇行している場所でもあり、見た目は緑が生い茂った山々も、一皮むけば(実は)かなりの岩山だろうと想像できます。

このあたりの地形の険しさを、歴史的なモノで実感することができました。

それは「犬戻地蔵尊」です。

毎月数回、益田市から吉賀町の六日市に行く途中はいつも見かけながら通り過ぎていた場所の一つでした。ネット上ではこの「犬戻地蔵尊」を詳しく取り上げたサイトもなく、私も事前情報皆無の状態で訪れた「お地蔵様」です。

場所は、津和野町から吉賀町に通じる国道187号線(通称でしょうか?「ひとはなライン」とルビが…)
吉賀町方面に向い犬戻トンネル、その数百メートル手前左側、石段をあがった所にあります。(案内標識あり)



うわ~!こんな立派な社があるんですネface17

さて、そもそもこの犬戻地蔵…犬戻(いぬもどし)とはどんな意味があるのでしょうか?



社のすぐそばに、「犬戻地蔵尊の由来」という看板がありました。



(以下、看板の記述)


犬戻地蔵尊の由来
犬戻は吉賀川筋交通の難所で、川端から岸壁がそそり立ち、犬さえも恐れて後戻りをするので犬戻しとよばれ、
人は通ることができませんでした。

それで枕瀬側からけわしい山路を登り、そこから円の谷へ下りて通行しておりました。

 すなわちこの地蔵さまは、その頂上に交通の安全を祈願して祀られたもので、その時期は大体寛保三年(1743)
八代将軍吉宗の頃であろうと推察されております。

 この地蔵さまは、交通安全はもとより婦人病や諸病に霊験あらたかで、崇敬者が多く、毎月二十四日のご縁日
や、春秋の大祭には近郷近在から多くの参拝者が訪れます。
 
 この地へは昭和五十八年国道の大改修により遷座したものであります。

  大祭日 四月二十四日
       八月二十四日
  
  昭和六十年十二月吉日 
         犬戻地蔵講


どうやら、この犬戻地蔵様は現在の、この場所ではなくもっと高い場所に祀られていたようですね。

犬戻は吉賀川筋交通の難所で、川端から岸壁がそそり立ち、犬さえも恐れて後戻りをするので犬戻しとよばれ、人は通ることができませんでした。

現在は、


こんな感じで、国道187号線(奥に見えるのが犬戻トンネルその手前に犬戻橋)が通っているので快適に通行できますが、
以前は、相当な難所だったようです。
枕瀬側からけわしい山路を登り、そこから円の谷へ下りて通行しておりました。

実際に昔の人々がどのようなコースを通行していたのかは益田市太郎は知りません。けれども以下の地図(等高線のつまり具合)をみてもこのあたりの地形が通行には相当厳しかったことが想像できますネ。

特に駐車場はありませんが、道をはさんだ反対側に高津川側に、車4~5台分はとめられるスペース(退避場)があります。その際、国道の横断には十分気をつけてくださいネ。
(犬戻トンネル側はカーブになってるんで、吉賀町方面からの車は見通しが悪いです。また、地元の方には飛ばし屋が結構多いんで…念のため)  

2009年12月06日

銀河回廊出現!グラナリエ2009 (グラントワ益田市有明町)

益田市有明町にあるグラントワ(島根芸術文化センター)で11/20(金)~12月25日(金)の間だけ出現する「グラナリエ」

先日以来その2009年バージョンをご紹介しています。

テーマは、
「今年のグラナリエはどんなCHANG(変化)があったのか!?」
前回の>>グラナリエ2009の鑑賞…逆さグラナリエ(グラントワにて)では、グラントワ内の巨大な水盤上に現れるグラナリエの本体(?)の画像でした。
(ちょっと斜めだったのが悔しいface20

前回の投稿画像で…
「今年のバージョンアップは(世相を配慮して)地味目?」と思われた益田市の方も多かったのではないかと感じまして。
早めに投稿することにしました…次の画像




なんとファンタスティックなイルミネーションでしょうか!グラントワの南側の50メートル近い回廊に施されたイルミネーションです。

まっ、まさに「銀河」を思わせる回廊…「グラナリエ2009銀河回廊」とでも名付けましょうか!?face17

全国150万人を超えるともいわれる隠れグラントワファンの代表、蔵奈利恵さん(仮名)によると、ファンの間では
icon99icon99la voie lactéeicon99icon99icon99ラ・ヴォワラクテと呼ばれているそうです
(そうです…やはり、おフランス語ですよネface01

この、icon99icon99la voie lactéeicon99icon99icon99さらに、撮影技術を駆使すれば…



名づけて…La Danse des Papillonsicon71(ラ・ダンス・デ・パピヨン)…「蝶々の舞」
もしくは
La Fantaisie des Papillonsicon71(ラ・ファンテジー・デ・パピヨン)…「蝶々のファンタジー」
とでも題せるようなレアな画像をゲットできました!

益田市だけじゃなく全国的に暗い空気の中、この時、かりそめではありますが明るいicon75気持ちになれました…
グラントワさんには本当に感謝しマスダ!face17


グラナリエ2009…これまでのその他の投稿は↓コチラ
>>「おろち」クリスマスを待つ(益田市 有明町のグラントワにて)
>>おろちグラナリエ2009バージョンをみた!(グラントワにて)


まだまだ続きます…